川端・天王町・銀閣寺・錦林操車場

Kawabata, Tennocho, Ginkakuji, and Kinrin Dispatchers

このページでは,鴨川左岸にあった丸太町線・今出川線と関連する4箇所の操車場についてまとめる。川端通拡幅前には,現在の道路敷西半分は様々な用途に使用されていて,丸太町通を挟んで北側には公設市場,南側には市電操車場があった。

各時期の操車場別担当系統をまとめると,概ね以下のようになる(一部推測を含む)。

操車場名運用期間1929.51939.71943.121946.71953.71954.3
川端ca.1927.4~41.11.124A, 4Bこ,な,に
天王町1941.11.13~54.2.28な,に2, 補三2, 12
銀閣寺1929.5.14~54.2.2816き,く3, 補四3, 13
錦林1954.3.1~55.1.152, 3, 12
■左の川端操車場配線図及び標題の系統指令信号機の現示内容は,小山徹: 京都市電に想う (鉄ピク「京都市電訣別特集」1978.12.)による。「待」(待機)は戦後の「ル」(ループ)現示に相当する。

錦林操車場開設前後の系統変更を以下にまとめる。この時期には,まだ京都市電に特徴的な,100・200番台の臨時系統は設定されていなかった。

■通常系統

操車1953.7.15~54.2.28操車1954.3.1~55.1.15
天王2天王-円町-西九 錦林2甲錦林-天王-円町-西九
12天王-円町-西四12錦林-天王ー円町-西四
臨2天王-円町臨22錦林-天王-円町
銀閣3銀閣-河今-京駅3乙錦林-銀閣ー河今-京駅
2乙錦林-銀閣-河今-四河
13銀閣-百万-祇園-四大3甲錦林-天王ー祇園-四大

■出入庫系統

 銀閣寺・天王町は壬生の操車場であったため,壬生車庫との間に出入庫系統が設定されていた。1953年3月の白川線開通に伴って,両操車場は錦林へ統合されたが,最初の10ヶ月間は操車場の位置づけであり,車両は引き続き壬生車庫へ入庫した。

1954.3.1~55.1.15~54.2.28
錦林A出入壬生-千丸-天王-錦林天王A出入
錦林B出入壬生-千今-銀閣-錦林銀閣A出入
錦林特B出壬生→千北→烏車→烏今→銀閣→錦林銀閣特A出
錦林C出入壬生-千丸-円町-西九-円町-天王-錦林天王C出入
錦林D出入壬生-祇園-百万-銀閣-錦林銀閣B出入
錦林E出入壬生-祇園-熊野-天王-錦林(新設)
錦林F出入壬生-七大-西七-円町-天王-錦林天王B出入
錦林臨G出入壬生-祇園-東七-内浜-京駅-河今-銀閣-錦林銀閣臨C出入
錦林H出入壬生-千今-河今-四河-河今-銀閣-錦林銀閣D出入
錦林I 出入壬生-千丸-熊野-円町-西九-円町-天王-錦林(新設)

■錦林の立地と甲・乙の逆転

 京都市では操車室から見て右に出発する系統を甲,左に出発する系統を乙と呼称する原則だった。壬生・烏丸・九条は何れも都心と反対側の立地であったため,都心側の循環系統は左回りが甲,右回りが乙になった。ところが錦林の立地は白川通の都心側であるため,たとえば市電222系統(今出川・丸太町循環)では,右回りが甲,左回りが乙と逆転する。

 代替バスについても同様で,たとえば1976年4月から1978年9月までの202系統と220系統は,

系統
202衣笠→わら天→白梅→千今→壬生→祇園→百万→白梅→わら天→衣笠 衣笠→わら天→白梅→百万→祇園→壬生→千今→白梅→わら天→衣笠
220衣笠→金閣→白梅→錦林→熊野→祇園→壬生→千今→白梅→金閣→衣笠 衣笠→金閣→白梅→千今→壬生→祇園→熊野→錦林→白梅→金閣→衣笠

と良く似た系統だったが,202は壬生操車,220は錦林操車だったため,前者の甲は左回り,後者の甲は右回りとなって,利用者からは解りにくかったと思われる。

 さらに地下鉄開業に伴う系統再編後の循環204系統(錦林-円町-金閣-烏車-高野-上終-錦林)は,当初は錦林操車であったため甲が右回りであったが,1987年11月からは甲・乙が逆転した。これは所管が烏丸に変更されたためであるが,それ以前に1986年10月から錦林・烏丸の共管が実施されていて,204甲を烏丸,204乙を錦林が担当したが,ここに言う204甲は右回りであり,烏丸から見れば乙とすべき系統であった。
(3/23/2014)