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西のりばの終端。2番線には6ろ系統713号,3番線には4甲B系統2006号が入線。3番線の弘亜社製看板の「大宮(北野)線」は消されている。(1972.3) |
西のりばの3線に電車が並ぶのもあと僅か。廃止準備工事で乗務員詰所手前の植栽帯は既に舗装されている。(1974.3) |
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シーサス上の4連のトロリーコンタクタが目立つ。出て行く電車は4甲B系統2614号。出発信号機はかなり低い位置に設置されていた。(1972.3) |
切欠ホームだった1番線に入線する4乙B系統1857号。駅本屋との位置関係で乗車ホームが右側になったことが,ワンマン時代になって余計な出費を招いた。(1972.3) |
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1番線からの出発が優先され,2・3番線からの電車は画面左端の[4R]で待機することになる。その裏側に設置された[4L]は撤去されていたが,中線のコンタクタは残る。 |
666号が1645号に改造された後,残った唯一のゾロ目車888号(10・11甲系統)が中線を横切って出発する。中線は留置線として使用されていたが,連動装置上は中線東行は想定外だったようだ。(1969.4) |
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5本目の電柱には進路選択信号機が設置されていたが,作動しているのを見たことはない。ここにはコンタクタが無いため,軌道回路を使用していたと思われる。降車ホームには,6ろ系統718号が到着。 |
塩小路通の交通信号機に組み込まれた[3R]は,かつては(←×↑)の3現示だったが,壬生のあった時代に既に(←×)の2現示となっていた。10・11乙系統1833号が到着する。(1972.1) |
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東のりばには,西のりばのような番線表示がなかったため,駅本屋に近い方を慣例的に1番線と呼ぶ。1番線に19系統713号,2番線に15乙系統526号が停車中。(1969.4) |
しかし出発信号機の補助灯を見ると,正式には伏見線側が2番線だったようだ。19系統507号が入線する。のりば案内の行灯は左の写真には無く,廃止前年になって設置されたことが判る。(1970.3) |