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幻の市電高野車庫

The Short-Lived Depot in Takano

(1945.5.31~1955.1.15)
このページでは大戦末期から戦後暫くの間,現在の市立高野中学校の位置に存在し,錦林車庫開設と入れ替わりに廃止された高野車庫(烏丸分庫→操車場)に関する情報をまとめる。開設の目的は空襲に備えた壬生車庫の車両疎開にあったとされ,工事に際して九条車庫内の軌道が一部転用された。

国土地理院「国土変遷アーカイブ」(1946)及び「関西の鉄道」38号(1999)より作成
沿 革
1944.8.9設置申請
1944.10.31設置認可
1944.11.10着工
1945.5.31竣工,線路延長930m
1950.10.20京都市立高野中学校校舎落成
1951.9.18車庫→操車場,線路延長178m
1954.8.10増築校舎本館竣工
1955.1.15操車場廃止
1957.6.25操車場施設撤去
1958.6.25運動場改修工事着工

車庫時代は南端にトラバーサが設置されていた。また操車場化の日付(1951.9.18)は,伏見港貨物線の撤去日と同日である。

さらに操車場施設の撤去日と運動場改修工事着工は同日の可能性があり,一方が錯誤とも考えられる。

1955年2月発行の1万分の1地形図「修学院」は1951年修正測量であり,操車場時代を示すと考えられるが,それによると単に車庫時代の柳線を撤去した訳ではなく,北大路通とほぼ並行する軌道を,中学校舎を避けて敷設し直したらしいことが判る。(12/22/13)

高野操車場が受け持った常設系統は,以下の2箇系統であった。ページタイトルの系統指令信号機は,後年烏丸車庫前東詰に設置されていたが,高野操車にも必要十分なものと言える。ただし高野には「接近表示装置」は設置されていなかった。

6甲高野→烏車→京駅→烏車→高野
6乙高野→東七→京駅→東七→高野
補七→16熊野-高野-烏車-四烏1952.12.1に系統改称
補七→16系統が甲・乙で運用されていたか,高野→熊野→烏車→四烏→烏車→高野のような乗務形態であったのかに関しては記録がない。16系統は高野操車場が廃止された1955.1.16以降,百万-高野-烏車-四烏に短縮されている。

操車場に格下げ後は高野に夜間滞泊は無く,全車烏丸に入庫したと思われるが,関連する入庫系統で判明しているものをまとめる。特に1954.3.1以降の「高野特入」系統は,叡電乗入れ系統用に整備された百万遍の北~西の亘り線を使用する点で興味深い。

1951.9.18
高野特入高野→百万→高野→烏車
6甲・高野A入高野→烏車→京駅→烏車→高野→烏車
6乙・高野A入高野→東七→京駅→東七→高野→烏車
高野B入高野→烏車→京駅→烏車
高野C入高野→祇園→四大→千北→烏車特別の場合のみ臨時運転
1954.3.1 (錦林操車場開設に伴う変更)
高野特A入高野→百万→高野→烏車旧「高野特入」系統
高野特入高野→百万→河今→四河→河今→烏車

地上から撮影した高野車庫(操車場)の写真を見つけることができません。高野中学校関係者等,写真をお持ちの方は是非ご提供下さい。
(10/5/2013)