市電のアルバム

Trackless Trolleys or Trolleybuses

無軌条電車


京都の無軌条電車は,山陰線・新京阪線と支障するため軌道建設が難しかった四条大宮~西大路四条間の代替輸送機関として,1932年4月1日に都市内交通機関としては日本で最初に登場した。当初は軌道建設が予定されており,計画第12号線完成までのつなぎという位置づけであったが,逆に58年12月1日付で西大路四条~梅津(高畝町)間の軌道を代替することになった。その後62年5月1日の松尾橋への路線延長を経て69年9月30日に廃止された。大阪市ではトロリーバスは運賃面でバス扱いであったが,京都市では上記の経緯から一貫して電車扱いであった。このページでは無軌条電車を,1969年3月撮影の写真を中心に紹介する。

四条大宮終点で客扱いを終え,これから転回する317号。四条通上のループ線以外に壬生入庫時に使用する架線も見える。四条大宮のりばで客扱い中の317号の後ろ姿。後方には車番プレートは無くペイント書き。バス停風ポールが停留場位置を示す。
松尾橋で時間調整中の315号。前面局章上の長方形の突起は,使われることのなかった「ワンマンカー」の行灯である。松尾橋ループ線で待機する300型群。
梅津車庫ループ線の内側はバスとの共用庫になる前は広大な芝生だった。200型は2両とも朝ラッシュが終われば早々と昼寝に入る。庫内のループ線は2線とも反時計回り。

最終日は雨であった。学園紛争華やかなりし頃であり,当日は閉寮問題に関する全校集会があったりしたため,梅津車庫に駆けつけたのは夜7時を回っていた。ストロボ内蔵が一般化する以前なので,撮影は露出時間を延ばす外なく厳しい。

夜の四条大宮降車場の廃止装飾車305号。対岸の乗り場には人だかりができている。京都の停留場標識は市電と全く同じ形態。梅津車庫前での最終日の混雑状況と側面の装飾。
大阪市のトロリーバスも1970年6月15日の守口車庫~杭全町間を最後に全廃となった(鴫野東六丁目の241号,「大阪のあし」51号)。大阪の停留場標識は黄色の2本線で区別された。Philadelphiaでは"trolleybus"と呼ばずに"trackless trolley"と呼ぶ。その原因は1923年にOregon Avenueを走った最初の車両が,路面電車そっくりだったせいだろうと言われる(A.W. Maginnis)。
無軌条線100系統の運行系統:晩年にはトロバスのルーツである100F系統の運行はなかった。代替バス77系統の運行系統:トロバス時代とよく似ているが亜系統のローマ字記号は踏襲されていない。

京都市における複線式架線