京都市における複線式架線

Overhead Double Line System in Kyoto


無軌条電車 Trackless Lines

京都市無軌条線の架線については,京大鉄研[1]の記事が参考になるが,校正ミスの域を超える誤りがある。たとえば四条大宮の架線は下の図1のように記述される。

図1 Wiring at Shijo-Omiya (The Railway Pictorial )図2 Wiring at Shijo-Omiya (Corrected)

京都市では,進行方向右側が(+)線,左側が(-)線であり,壬生車庫への回送線は(+)線を市電と共用していた。この場合,(-)線をスリーブを介して,市電の架線より若干高い位置に吊架することで,ビューゲルによる短絡を回避できる。しかし図1では,北行の市電架線が(-)線であることを意味することになり,また大宮通から後院通に入る電車は,途中で架線が消滅してしまう。

当時はトロリーバスにさほど興味が無かったこともあって,無軌条線の架線の写真は撮っておらず,確証は無いが,正しくは恐らく右の図2のようであったと推測される。壬生からの出庫車は四条大宮北詰で架線を付け替えたことは正しいと思うが,その場合,北行の市電架線を(+)線として共用することは可能であっても,トロリーバスの架線分岐は面倒,かつ短区間なので,並行して(+)線を張ったと考える方が自然だろう。

図3
この結果,四条大宮の市電北行線と関係する架線形状を上から見ると,図3のようだったと推測される。ここに赤色は(+)線,黒色は(-)線を表す。市電架線と交差する架線については,若干高めに吊架される必要がある。

【伊藤勇次郎作品】京都市交通局トロリーバス(1969年)


晩年には四条大宮~西大路四条間の100F系統は運転されていなかったため,西大路四条東詰に架線分岐器が設置されていたか記憶が無いが,西大路四条西詰と高畝町には分岐器と(↑→×)信号機が設置されていた。「鉄道ピクトリアル」には図4が掲載されているが,そもそも停留場名が誤りである。(代替バスでは,高畝町折返しは次の梅津段町折返しに1区間延長されたため,混乱した可能性はある。)
図4 Wiring at Takaze-Cho図5.1図5.2

高畝町には,市電と同じ進路選択信号機(図5.1)が設置されていた。軌道回路は使用できないためトロリーコンタクタで作動したが,ループを意味する右への進路が,実際は直進であることに多少違和感があった。図5.2は上記ビデオから高畝町の分岐器を切出したものだが,曲線の内側になる架線のみが交差部分まで鋳物で出来ていたように見える。

トロリーバスの架線の写真を撮るのは実は難しい。下の図6はSEPTAのトロリーバス運行の拠点であるFrankford車庫(再整備前)だが,架線の分岐形状は図5.2と同じように見える。1981年はAMG車への更新時期であったが,多くは不具合のため車庫で昼寝しており,4割はそのままスクラップになった。また図7はGeneva Bel-Air地区の交差点で,有軌条の架線が画面を横切る単線と左下から大きくカーブして左へ向かう複線,無軌条の架線が画面を横切る単線と左下から右上へ向かう単線であるが,建物と干渉して架線が埋没している。

図6 Frankford Depot, Philadelphia, PA (1981)図7 Bel-Air, Geneva, Switzerland (2005)
【お願い】四条大宮~松尾橋間運行時代の,無軌条線終発時刻(四条大宮・梅津車庫前・松尾橋等)を記録されている方はお教えください。

路面軌道 Prewar Tramways

開業時の京電の架線は1本であったが,帰線路としてのレールの電気的接合(ボンド)が不完全であったため,早い時期から埋設管(水道管)の電食が問題になった。[2] このため都市部では複線式架線を用いる規定が設けられ,京電も複線式に改められた。京都市電は当初から複線式で開業したが,大戦末期に開業した梅津線から,「防空資材及び労務節約」の通達に従って架空単線式で建設された。それ以外の路線についても,1945年8月から47年11月に掛けて,全路線を17期に分割して順次単線化している。[3]

図8
小山徹[4]によれば,単線化に際して(道路中心から見て)外側の線を撤去した由なので,市電についても進行方向右側が(+)線,左側が(-)線であったと考えるのが自然だろう。しかし無軌条線と異なり,市電は両運転台であるため,折返しの問題が生じる。京電や広軌I型では終点でポール回しを行ったため,進行方向によってポール2本の極性を逆転させることも想定しづらい。たとえば折返し亘り線では,図8のような配線を採用することが可能である。この場合,折返し時にポールを1度だけ付替えれば,そのまま進行できる。

図9
分岐交差点では1線を共用していた(3方分岐では架線4本)という記述[4]を信じるなら,交差点の分岐線では,図9に示すように極性が逆転したことになる。この張り方だと,交差点の前後で2回ポールを付替える必要が出るが,車両側に逆転スイッチがあり,曲線通過時のみ使用したと考えれば不可能ではない。旧・京電の路線は,市電合併までに概ね複線化されていたが,出町線は最後まで単線であった。軌道が単線で架線が複線式だと極性の問題が生じるが,全線に渡って架線を3線式としたか,逆転スイッチを使用したか,詳細は不明である。

References

[1] 京大鉄研,失われた鉄道・軌道をたずねて(32),「鉄道ピクトリアル」no.271, pp.43-48, 1972.11.
[2] 大境彰,電食防止の排流法,「防食技術」vol.36, pp.799-805, 1987.
[3] 京都市交通局,「軌道事業略史」,1952.
[4] 小山徹,京都の市電に想う,「鉄道ピクトリアル」, no.356, pp.46-48, 1978.12.
(7/14/2017)