市電外郭線内の市バス路線

Bus Routes Inside Kyoto Ring Line, 1966

このページでは1966年時点の市電外郭線((主)京都環状線=府道143号+国道171号+市道181号)内のバス路線のうち,主要幹線道路である堀川通・御池通・五条通と,出町柳・三条京阪・京都駅周辺を除く市電と重複しない路線について,運行状況をまとめる。そこにはかつて京電由来の路線の残影を見ることができる。

初期画像は1966年の市電・市バス路線図で,橙色がかつての電車路線である。ただし神宮道の仁王門通以北では,電車は1本西の疏水沿いを走った。この時代,伏見線の大石橋以南以外にも,以下の区間には並行するバス路線が無かった:熊野神社前~岡崎通,七条烏丸~七条大橋,九条河原町~東福寺。Mouse-Onでは1966年時点でそれらの路線を運行した市バス系統,図をClickすると2013年時点の市バス路線(水色は1966年以降の追加路線)が表示される。




西洞院通~中立売通は,かつての北野線10系統の路線で今も50系統が走る。当初は京都駅~北野神社間を忠実に辿っていたが,市電廃止後は千本中立売から先は千本今出川経由に変更され,立命館大学前(衣笠)まで延長されている。

市バス10系統(祇園~山越)は長い間寺町通を経由したが,これはかつての京電東回り線のルートに相当する。二条通の河原町以東は現在も32系統が走るが,当時は32・47系統が姉妹系統であり,32系統は五条通から梅津車庫,47系統は四条通から五条車庫を目指した。狭軌線では二条木屋町を直進する系統は無く,市電買収後の鴨東線は木屋町~蹴上間の線内折返し(14系統)だった。しかし京電が元々,岡崎の内国勧業博覧会の旅客輸送を目的として敷設されたことを考えれば,昔は木屋町二条を東に回る系統があったと考えることが自然だろう。

鴨東線の仁王門通区間には,山科方面へ向かう39・40・41・49系統が三条通から迂回運行されていた。将軍塚へ向かう103系統やその蹴上までの短縮系統であった45系統も加わったが,1965年7月まで市電蹴上線は名目上休止線だったことが関係しているかも知れない。一方,御池線(二条城~二条駅)の跡には,15系統(三条京阪~衣笠)と57系統(京都駅~花園駅)が運行されていたが,御池線自体,市電買収と同時に廃止されているので,これらに電車代替の意図があったとは思えない。

かつて御前通は市バス路線では重視されていて,太子道~八条間には市バスが運行し,四条御前通には四条車庫も存在した。1966年時点では四条以北を運行した27系統は既に西大路通に移されていたが,四条以南には三条京阪~六孫間の7系統が運行していた。南の八条以南の区間には,地下鉄開通後17系統が運行されていたが,現在は系統分割で生まれた循環16系統が運行されている。

七本松通には今出川~丸太町間で52系統,松原~五条間に32系統が運行していたが,前者は千本今出川経由に変更後に廃止,後者は大宮五条経由に変更されて運行中である。智恵光院通には,京都駅~福王子間の25系統が運行していたが,それ以前には寺之内まで直進していたこともある。寺町通の今出川以南には狭軌線が敷設されていたが,京電と無関係の今出川以北には37系統が運行されていた。上御霊通から賀茂街道に出たが,なぜ車掌が下車誘導しないと曲がれないような細街路を選んだのかは謎である。

市電があった時代にも市バスとの競合のムダが叫ばれていたが,当時の市バス路線は市電系統と重複しないよう,敢えて電車道を避けたり,曲折を繰返して複雑な経路を辿る系統が多かったように見える。事実,市電路線と完全に並行する系統が存在したのは,烏丸線(2・36系統)のみであった。現在(図をClick)は上で紹介した路線は殆ど消滅し,典型的な例として50系統と32系統の一部にその片鱗を忍ぶだけである。

(9/16/2013)