4-6系統の乗務系統

Operations of Routes 4 and 6

←1961(昭和36)年の大遠忌の際に一部系統で使用された特製系統板(イメージ)

左図はスタフから採取した烏丸の4-6系統の乗務系統で,1970年1月15日以前のツーマン運転の状況を示す。4系統はセグメントごとに別のスタフを使用し,烏丸車庫と京都駅の双方で操車が行われた。6系統は6い(右回り)は烏丸車庫で乗務交代が行われたが,6ろ(左回り)は乗務交代の記憶がないため,京都駅操車であった可能性が高い。

当時の烏丸のスタフは2時間おきの3列表記で,他車庫とは異なった。3列表記はネットダイヤを意識したものであろうが,時間帯別の運転頻度の相違をどう処理したのか不明だし,日によって微妙に時分のずれたスタフが使われたので,実際のところダイヤがどうなっているのか判然としなかった。特に4系統のスタフは方向別であったため,烏丸車庫で回収されたスタフを京都駅へ,京都駅で回収されたスタフを烏丸車庫へ,恒常的に回送する必要があったことになる。ワンマンカーに関しては単独の仕業別スタフが使われたが,そのうちワンマンカーばかりになったため,3列表記のスタフを見ることはなくなった。

烏丸5-7-96-8-1011-13-1512-14-1617-19-2118-20-22
他車庫5-11-176-12-187-13-198-14-209-15-2110-16-22

1967年6月6日の運転実績は以下のようであったが,この調査では,系統内の部分運行は本数から除外されている。

4甲A4甲B4乙A4乙B6甲6乙
1161161211279892

(4乙B-4乙A)と(6乙-6甲)の本数差は6本で等しいが,これは6乙のうち6本は烏車→京駅方向のみ運行されて,帰りは4乙Bとして運行された計算になる。

京都市電では,終電間際の運行パターンの逆方向のパターンが初電時に運行されるのが原則であった。4系統の終電間際の運行は,京駅→烏車→円町→烏車,京駅→烏車→千北→烏車,6系統は京駅→烏車→百万→烏車,京駅→烏車→高野→烏車であった。初電時には当然逆方向が運行されたはずなので,その限りにおいて,たとえば6系統の運行本数にミスマッチは生じないはずである。しかし朝・夕ラッシュ開始時の増発用には,逆方向のパターンのみが運行されたこと,また烏丸線方向に6系統として出庫する電車はあったが,烏丸線から入庫する場合は必ず4系統を表示したことが,4乙Bの本数増に通じたと思われる。

4系統と6系統は烏丸通を軸として左右対称であったが,6系統は甲・乙とも烏丸車庫以遠の運行が保証されていて,4系統のように烏丸操車で打切りとなる可能性はゼロであったという意味で,運行的には全く異質の系統であった。設定当初の4甲系統は西大路駅(西大路九条)への往復系統であり,6系統のように当初から京都駅発着の循環系統ではなかったというルーツが関係したかも知れない。

烏丸線廃止後には京都駅操車は無くなり,日中は4A→6ろ(左回り),6い→4B(右回り)の環状運行が原則となった。しかし終電間際には,なぜか4A→4B,6い→6ろといった個別往復が運行されたようである。

なお4甲(4B)系統は京都駅出発時に「金閣寺」を表示したが,これは常設系統の行先表示で唯一の急行通過停留場であり,時間帯によっては「金閣寺行」電車が金閣寺に停車しないという,観光客には不親切な案内であった。

烏丸線廃止後の京都駅西のりば案内表示(1977.6)→