三方分岐交差点

Intersections with Trifurcating Switches


本HPでは前後のページへの移動に,三方分岐交差点の電車信号機をイメージしたボタン配列を採用しているが,三方分岐を持つ交差点は1969年時点では,下図に示す6ヶ所だけであった。

図には各交差点の乗降場配置も示しているが,点線の乗降場は道路幅員の関係で,路面のマーキングだけで安全地帯は設置されていなかった。また百万遍と七条烏丸の南北方向については,連結車運行のため安全地帯は2両分の長さが必要であった。さらに千本今出川へ西から来た電車と七条烏丸の8系統には2重停車があったことも読み取れる。

しかし標題のような配列の信号機が存在するためには,物理的に亘り線があるだけでは不十分で,その亘り線に常設系統が運行されている必要がある。(自動運用の分岐に関しては,配線図を参照。) 百万遍・大石橋はこの観点から脱落するが,前者には系統廃止後も1972年春頃まで標題の信号機が残されていた。(この項,べぃ様のご指摘により改訂)

百万遍を南詰から右折した旧13系統は1954年3月廃止,西詰から左折する系統は競輪開催日の京都駅~宝ヶ池間直通電車と,1955年1月廃止の高野操車場関連の臨時系統だけで,常設系統が運転された記録はない。結局標題の信号機は1969年時点では,千本今出川・河原町今出川・七条烏丸の北方向,七条大宮の南方向と百万遍の北・東方向の僅か6基に留まり,比較的珍しいものであった。

このうち2ヶ所(千本今出川と七条大宮)は千本・大宮線の廃止(1972.1.23)によって姿を消し,長く放置されていた百万遍も同年夏までに整理された。残り2ヶ所も烏丸線の廃止(1974.4.1)によって姿を消したが,特に河原町今出川は烏丸線とは直接関係がなかったが,15系統廃止の結果,南から西に渡る常設系統が無くなったことに因るものである。

しかし市電のあった時代には自動車もまだ少なく,自動車用の矢印信号無しで交通処理が可能であったことに感銘を受ける。電車用の補助信号灯器が4個ついた上に自動車用の右左折灯器が付けば,信号機は巨大化し見る者を混乱させたに違いない。



百万遍交差点に三方分岐の電車信号機が存在した「証拠写真」をべぃ様©にご提供頂きましたので,許可を得て掲載します。

北方向信号機の配置がよく分かる。電車は壬生廃止後に設定された16系統(九条),ツーマン代用の1825号(1972.2)少し見づらいが東方向の電車信号機も4現示,電車は2乙系統934号。国立大授業料を月額千円から一気に3倍値上げする予算案に反対する立看板が見える(1972.2)
(Rev. 2/1/2006)