| 系統 | 経路 |
|---|---|
| 1 | ミブ−ギオン−烏塩−烏丸−千丸−ミブ |
| 2 | ミブ−七宮−烏塩−烏今−千今−ミブ |
| 3 | ミブ−ギオン−東七−七宮−四宮−ギオン−クマノ−千丸−ミブ |
| 4 | 知恩−四烏−烏今−千今−千丸−知恩 |
| 5 | ミブ−七宮−東七−クマノ−千丸−ミブ |
| 6 | ミブ−ギオン−四烏−烏塩 |
| 7 | ミブ−ギオン−クマノ−千丸−ミブ |
| 8 | ミブ−ギオン |
これから1960年代の配線図にはない亘りとして,クマノの西〜南以外に,四条烏丸に東〜南・東〜北,烏丸丸太町に西〜南(+狭軌線の東〜北),千本丸太町に東〜北が存在したことが分る。開業当初(1912.6.11〜1913.4.15)は四条西洞院〜烏丸塩小路の系統があったので,四条烏丸には西〜南の亘りもあったはずである。実際,南詰からの三方分岐と東詰からの三方分岐の写真は残っているが,3方向に亘りの写った写真は見たことがない。西〜南の撤去時期は不明であるが,開業後わずか1年で撤去して東〜北に転用したものか,真相は不明である。
![]() | ![]() |
| 四条烏丸から西を望む。横切る電車は烏丸塩小路行で西〜南の亘りは見えるが,東〜北の亘りは無い。交差点中央に立つセンターポールの威容が際立つ。(石井行昌氏「さよなら京都市電」) | 「商業の中心地たる四条烏丸付近の盛観」昭和初年撮影の有名な絵葉書は四条烏丸から東を望む。明らかに西〜南の亘りは無いが,架線の絶縁区間が東〜北・東〜南の亘りの存在を物語る。 |
Back