Cover Photos Archive
This page archives former cover photos related to Kyoto City Trams.

当分の間,更新が滞ります。その間,アーカイブ化された過去年間のTop画像(15ページ)を一括再掲します。(Sept. 30, 2019)


北大路橋を渡る(臨)2606号。系統は特定できないが,方向幕が「烏丸車庫入庫」なので,13い系統の可能性が高い。市電7号線は,1923年10月に烏丸今出川~北大路橋西詰間で開業したが,それから11年間に渡って,加茂街道交差点が「植物園前終点」だった歴史がある。(1977.6)


二条駅前~出生稲荷前間を行く1乙系統1807号だが,一部の1800型は当初車番が白ペンキ塗だった。撮影位置は押小路の少し北に当たり,中京中学校の北側には櫓のある木造の建物も見えるが,京都市明細図によれば旅館として建てられたものらしい。押小路通には明治期は京電,現在は地下鉄東西線が走るが,二条駅高架化以前は国鉄用地で行き止まりだった。(1971.3)


今出川線・銀閣寺道への登りを行く2乙系統1664号。農学部正門へ通じる構内道路入口は,農学部前と北白川の中間に位置したが,市電があった当時は夜鳴きソバ屋の出没場所だった。(1973.3)


府立病院前で5乙系統の2600型同士が離合する。南行はラストナンバー2618号だが,北行の車番は見えない。立命館は衣笠への移転が進行中で,まだ広小路校舎は使われていたが,産業社会学部の建物は既に京都救世会館になっている。バス化後に府立医大病院前と,大学を強調した停留場名に変わるが,当時は本部棟の隣に管理棟が建設中だった。(1977.7)


壬生廃止で,11系統に代わって烏丸今出川を左折することになった5甲系統1924号。今出川通が狭隘なため,左折系統のみ交差点南詰で客扱いを行ったが,烏丸側にも安全地帯は設置されず,路面マーキングのみの停留場だった。(1972.3)


地下鉄運行の要,姉小路総合指令所は車屋町姉小路上ルに位置するが,テロ対策のためか施設名称は明示されない。(Mouse-on)は1961年5月の航空写真で,黄枠で囲んだ敷地内,姉小路沿いに烏丸通に面するのが市電創業時からの変電所建屋であり,戦後は関西配電の変電所も同居していた。現敷地は烏丸通と路地で接するだけだが,電力指令所と共に烏丸線の変電所が設置されている。


烏丸鞍馬口で客扱い中の4乙B系統1862号。系統通知信号機は(6)が点灯中だが,接近表示区間の入口となる停留場には,2本の停止線が引かれており,(4)の点灯を待って2次停止線に進む必要があった。ラッシュ時には某予備校への通学客で賑わったが,大学全入時代には抗えず2010年に閉校した。(1972.3)


七条七本松を西大路へ向かう4B系統1930号。市電2期線として建設された区間であり,大宮以東に比べ幅員が5m以上広いため,一時は路側駐車帯が設置されていた。後方には山陰線高架も見える。(1977.6)


京都御苑の緑を背景に,烏丸丸太町交差点を西に渡る2甲系統1823号。北東角の交番は2階建になったが,建物のイメージは昔と余り変わらない。この交差点は烏丸今出川と同様に点対称の配線だった時期があるが,東から北への渡りは狭軌線で1926年に廃止されている。(1973.3)


2016年1月から耐震改修中だった南座が,11月の顔見世から復活した。1971年7月の写真と比べると,敷地北西角のにしんそば屋が5階建になったため,千鳥破風と唐破風を組み合せたファサードも,右側が詰まった印象を受ける。1甲系統1819号と7乙系統1620号が京阪電車の通過を待つ,ありふれた夏の日の光景。