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幻の市電高野車庫The Short-Lived Depot in Takano(1945.5.31~1955.1.15) |
このページでは大戦末期から戦後暫くの間,現在の市立高野中学校の位置に存在し,錦林車庫開設と入れ替わりに廃止された高野車庫(烏丸分庫→操車場)に関する情報をまとめる。開設の目的は空襲に備えた壬生車庫の車両疎開にあったとされ,工事に際して九条車庫内の軌道が一部転用された。
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![]() | 1953年の京都市都市計画図には操車場の計画が茶色で上書きされている。それによると,百万遍~高野間開通以前の高野終点はずっと高野橋寄りにあったこと,操車場は単に車庫時代の柳線を撤去した訳ではなく,北大路通とほぼ並行する軌道を,中学校舎を避けて改めて敷設したらしいことが判る。(12/22/13) |
| 補七→16系統が甲・乙で運用されていたか,高野→熊野→烏車→四烏→烏車→高野のような乗務形態であったのかに関しては記録がない。16系統は高野操車場が廃止された1955.1.16以降,百万-高野-烏車-四烏に短縮されている。 |
1951.9.18 | ||
高野特入 | 高野→百万→高野→烏車 | |
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6甲・高野A入 | 高野→烏車→京駅→烏車→高野→烏車 | |
6乙・高野A入 | 高野→東七→京駅→東七→高野→烏車 | |
高野B入 | 高野→烏車→京駅→烏車 | |
高野C入 | 高野→祇園→四大→千北→烏車 | 特別の場合のみ臨時運転 |
1954.3.1 (錦林操車場開設に伴う変更) | ||
高野特A入 | 高野→百万→高野→烏車 | 旧「高野特入」系統 |
高野特入 | 高野→百万→河今→四河→河今→烏車 |