市電ワンマンカーのテープガイド

Recorded Announcements on "One-man"  Trolleys


ワンマンカーのテープガイドが設置された時期は定かではないが,錦林の1600型がワンマン運行に入る少し前(1967年秋?)だったと思われる。1600型は登場時にテープ機器が設置されておらず,しばらくして車内に配線が後付けされたので見苦しく感じた(後に配線は隠蔽化された)。

当初は広告放送は無かったが,広告が追加されたのは,壬生のワンマン化から少し経った頃だった。トロバス廃止によりテープを作り直す必要が生じたので,1969年10月1日から実施されたと見るのが順当だろう。

一部の停留場には,広告導入以前から副称が設定されていた。停留場名となっていない国・市の公的施設やその他の非営利施設である。ただし実際に駅名標に(括弧書き)で表示されていたのはごく少数に限られる。いずれにせよ,これらの副称(他社線乗換えを含む)は,広告放送導入以前からテープガイドに含まれていた。

トロバス線と伏見線は,ワンマンカー導入以前に廃止されたため,これらを除いた全停留場について,副称や広告,その他関連情報をまとめた表を,概ね1970年頃の停留場名を基準として作成した。 不完全なものであるし,広告内容は時期によって流動的だが,烏丸・河原町線については廃止直前の状況を反映している。副称名で青字になっているのは,駅名標に表記のあるものだが,この他にもあったかも知れない。この表が完成すれば,テープガイドの内容をほぼ復元することが可能になる。

停留場一覧 (Excel 2003)

アナウンスの順序は概ね以下のようであった:
「停留場名(復唱)」→「副称名(他社線乗換えを除く)」→「広告」→「他社線乗換え」→「市電乗換え」→「次の停車停留場(急行で次停留場が通過の場合)」→「注意事項」

(例)「次は四条河原町新京極,四条河原町新京極,高島屋前,阪急のりばです。四条大宮,祇園方面はお乗換えです。四条河原町新京極から河原町五条まで停まりません。お降りの方はお忘れ物ないようお支度願います。」

他社線乗換えについては,停留場名が会社名を含む「叡電前」「四条京阪前」「九条近鉄前」や,相手が国鉄線の場合は案内されない。(「京都駅前」のように自明な場合は無論,「七条千本」や「東福寺」でも案内されない。)

停留場形状に関しては,次のアナウンスが追加される。
安全地帯無:「お降りになった方は自動車にご注意下さい。」
歩道橋直結:「お降りになった方は横断歩道橋をご利用下さい。」
ただし壬生車庫前と錦林車庫前については,安全地帯は無かったが特段のアナウンスはなかった。もしも当初の財政再建計画に従って,伏見線がワンマン化されていたら,北行は肥後町~棒鼻間と十条通を除いて,全停留場で注意喚起が必要になる訳で,この原則は適用できなかったに違いない。

市電乗換えについては,初期には路線上の主要停留場が複数案内されたが,概ね路線両端のみが案内された。ただし対象路線の終端が近い場合は,この限りではない(たとえば8系統の七条烏丸では,京都駅への乗換えではなく降車を案内)。また烏丸線があった時代には,東西方向の路線の河原町線との交点では,京都駅ではなく七条河原町が案内されたが,かつて5系統や15系統の方向幕が「うちはま」行であったことを想起させた。

市電と市バスの停留場名が相違する場合には,市電と市バスが千鳥停車になっていた場合(たとえば荒神口には市バス停留場が無く,白梅図子には戦後市電停留場が無い)や,通り名の呼称順が異なる場合(市電は七条烏丸,市バスは烏丸七条)等が含まれる。最も特徴的なのは市電優先の原則であって,市電の停留場より近い位置に市バスの停留場がある場合などに,停留場名に市電を冠するケースである。これには市電洛北高校前,市電金閣寺前,市電十条,市電大手筋があった。

■広告放送については,京都コンタクトレンズの突出が目立つが,副称・広告アナウンスについて情報追加をお願いします。今も耳に残るアナウンスを,掲示板に書き込んで頂けると幸いです。

(10/17/2010)