Dalian, China / 遼寧省・大連市

「同志社大学鉄道同好会」のページで大連市の路面電車の近況が紹介されています。それに触発されて過去および将来の展望ページを作成しました。京都からは1938年頃広軌I型10両が譲渡されており,強ち関係がない訳でもありません。
 作者は大連はTransitで周水子空港(DLC)に1時間ほど滞在したことがあるだけなので,些かおこがましいのですが。(6/16/2002)
1998年時点における大連の電車運行系統は201・202・203の3系統15.1kmでした。このうち203系統は,黒石礁(日本名・星ヶ浦)から南西への延伸工事が実施され,2000年末頃開通した由です。車庫はKenji Hojoさんの配線図によれば民主広場(旧・敷島広場北側の満鉄大連埠頭ヤード)及び解放広場(旧・大正通)に所在するようです。他にトロリーバス(無軌電車)101・102の2系統14.5kmが運行されています。(本図と右図は(社)建設コンサルタンツ協会発行,明日へのJCCA,no.202(Jan. 1999)所収の渡邉健「大連市の交通事情」から引用。) 大連市の「長期的軌道系交通網整備基本方針図」によれば,黒石礁から先への延伸は「西線」計画の一部に対応するものであることが判ります。現在の路面電車路線は,203が南線と北線の一部,201が北線,202が西線のそれぞれ一部に対応しますが,西線の延伸部分は専用軌道であり,既存路線についても「快速軌道交通化」計画の下で,既存システムとの訣別が必要になるかも知れません。

下に1930(昭和5)年頃の日本統治下にあった大連市の地図を掲載します。現存路線の殆どが旧・大連市街電鉄の路線であったことが判りますが,当時は沙河口駅がなく,201・202の起終点となっている同駅へのアクセス路線は,この地図の後で建設されたようです。上の計画南線に相当する中山広場経由の路線,東線に相当する老虎灘公園への路線も,戦前には存在しました。上の計画路線の相当部分は,モード選択は別にしても,廃止路線の復活計画であると言えそうです。大連駅の位置は戦前より少し西に移動したようですが,駅前付近の軌道も1本海よりの道路に移設されたようです。(Kenji Hojoさんの言われる大連駅東側の「廃止された軌道」とは,まさに旧・西公園町地内の老虎灘公園への路線の一部に相当すると思われます。)

飛行機上より見たる西広場付近 大連市街には大広場(現・中山広場)の外,敷島広場,朝日広場,千代田広場,東広場等があって,ところどころの中心となり。是等の広場には植樹をなし,都市に美観を添へてゐる。日露戦争直後の西広場付近は,曖昧料理屋街を形成し,当時唯一の日本花街であったが,現在ではその名残だに止めず。大連市街電鉄の幹線道路となり,堂々たる商舗が櫛庇してゐる。(地図位置1: 大広場の軌道はロータリーを周回していたが,西広場では貫通していた。) 大連の連鎖商店街 東に行き詰って西へ西へと伸びつつある青年期にある都市大連の繁栄は今日『大連銀座』の称を擅にしたる浪速町を漸く去り,将来小売商店街の中心は次第に常盤橋畔の連鎖商店街へと移りつつある。連鎖商店街の出現は昭和4年11月であった。此の町には南満瓦斯,南満電気の両会社や信濃町市場があり,連鎖商店と相呼応して町の成長を待望してゐる。(地図位置2: 左へ老虎灘公園への路線が分岐する。正面の木立は電気遊園。)
満鉄本社 満鉄本社は大連市東公園町にある。明治38年9月5日,日露の講和条約に拠り,東清鉄道会社に属してゐた長春・旅順間及其の一切の支線並びに之に関する権利・特権・財産及炭鉱を譲受け,明治41年4月1日野戦提理部其他の官憲から鉄道其他の引継を受け本社事務所を此処に設置した。建物は露治時代に於ける商業学校の校舎に改築を加へたもの。爾来20余星霜,4億4千万円の資本金と3万3千の日支従業員を擁し,我国の南満州経綸を行ふ東洋一の大会社である。(地図位置3) 星ヶ浦全景 旧支那名黒石礁。其名を冠した西端の1小村落の岬角に連る暗礁は,その昔天から星が降って出来たといふ伝説があるが,実はカンブリア紀石灰岩で構成されてゐる。霞ヶ丘を中央に曙,黄昏の2つの浜が東西に拱門を形成して,春ならば夢のやうに咲く桜樹の林中にヤマトホテル,星の家をそれぞれの中心に,純洋風の貸別荘や住宅地が点在してシックな海岸風景を展開し,後方,朔風を完全に遮る台子山の高原は理想的なゴルフ場となってゐる。(画面手前に専用軌道を右へ向かう電車が写っている。)

近況の写真については,"Dalian Trolleys, 2010"のページをご覧下さい。戦前の日車製車両がまだ活躍しており懐しい印象を受けます。
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注:このページに掲載した戦前の地図及び写真とその解説は,改造社版・日本地理体系別巻「満洲及南洋篇」(1930年12月)から転載。このページは現況との比較に資するために歴史的事実を伝えることのみを意図しており,日本の中国大陸における侵略行為・植民地支配を正当化するものではありません。
(Created 6/16/2002; Rev.4/26/2014)