Cover Photos Archive
This page archives former cover photos related to Kyoto City Trams.

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鉄道ファン半世紀|車両写真|向日葵写真館|京都市電の廃線跡を探る


百万遍から東山通に入る壬生最終日の1乙系統1870号。1800型のうち元866型の5両は金属比率が高く,電動機も最初から45kW×2を装備していた。写真のラストナンバーは翌日から烏丸に転属し,市電最終日まで活躍の後,阪堺電軌256号となったが,余り活躍することなく1995年に廃車された。同車は今でも大和川検車区に留置されているが,状態は劣化している。(1972.1)


千本今出川を北へ向かう21乙系統1804号。後方を10・11乙系統1800型が横切る。千本通を直進する軌道が敷設される前は,北詰の渡り線は5系統や4乙系統の前身に当たる,旧13系統→系統や系統の折返しに活躍したが,晩年は稀に壬生の特3系統が折返すだけだった。東南角の三和銀行は消えたが,建物は三菱UFJ銀行に継承された。(1971.3)


かつて北野線が交差した七条西洞院を行く8乙系統1818号。市電8系統代替の208系統も含めて,京都駅~七条堀川間の市バスは塩小路・堀川通経由がメインルートになったが,市電4甲系統を代替する205系統だけが今も七条通を経由する。(1977.6)


大手筋商店街は東側の桃山御陵前・伏見桃山駅と西側の大手筋電停に挟まれていた。竹田街道の南行車線には余裕が無かった為,塩小路高倉~八条口間と同様に,大手筋以南では南行車は専ら軌道敷を走行した。現在の「バスの駅」付近から京都駅行9系統863号を見ているが,当時の路線バスは全て市電大手筋(現・西大手筋)で曲がり,交差点を直進する系統は無かった。(1969.4)


千本線が消えて寂しくなった交差点を,5甲系統1900型と22甲系統1610号が続行する。かつて西から来る電車は二重停車をしたが,東詰東行の安全地帯も除かれて双方向とも西詰で客扱いをした。北西角には本HPもお世話になった岡田梅寿堂の店舗が見える。(1973.3)


市電外周線の四隅は西大路九条を除いて碁盤の目とは言い難く,千本北大路~白梅町間も例外ではない。4A系統1918号が平野神社の塀に沿って,西大路通本来の南北方向に転進する。(1977.6)


銀閣寺道電停に1800形が停まる白黒写真を,自動着色してみた。比叡山ドライブウェイの案内標識から2本目の架線柱に系統予告信号機が付いているのが判るだろうか?背景に埋没しているが,右下インセットの拡大図からは,烏丸車庫前東詰と同形の6現示だったように見える。(1973.3)


烏丸夷川の京都新聞本社前を行く4乙A系統2001号。京都放送(KHK→KBS)は当初,烏丸通西側の商工会議所の赤レンガに入居していたが,近畿放送改称直後に向かいの京都新聞社内に移転した。民商の「付加価値税反対」看板が見えるが,大平内閣が一般消費税5%を提起したのが1979年,消費税3%導入は89年の竹下内閣なので,反対運動が随分前から存在したことが解る。(1972.3)