Cover Photos Archive
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鉄道ファン半世紀|車両写真|向日葵写真館|京都市電の廃線跡を探る


北大路橋を高野へ向かう13い系統1926号。13系統は錦林時代から市電で唯一,停留場に時刻表が掲示される本数の少ない系統だったが,末期には昼間時40~45分間隔まで減便された。(1977.6)


京都駅前西乗り場を塩小路通北側から見る。2番線に6ろ系統1923号,3番線に4甲B系統1846号が停車し,3番線左手には乗務員詰所。背景の中央郵便局は,1961年に現在のタワービルの位置にあった3階建局舎から移転して来たが,西側の駐車場と一体化した再開発が予定される。(1974.3)


朝の烏丸車庫前で輻輳するワンマンカー群。手前西行1835号は(6)の円板を出しているが,烏丸線があった当時,6系統は烏丸車庫前スルー運転が原則だったので,これは東山往復の6乙系統か?東行2610号は円板を出していない。京聯タクシーの跡地は中央信用金庫になった。(1972.3)

烏丸車庫に戻る1861号が,府立大学前の系統通知信号機に白色灯で進入する。13い系統は,以前は(14)現示で進入したが,壬生廃止後は白色灯での進入に変更された。折しも急行時間帯だが,この信号機のために「急行通過停留場」への運転停車が避けられなかった。(1977.6)

丹波橋~大手筋間の伏見線には2ヶ所のクランクがあった。明治期の地形図と比較すると,何れも市営化後に曲線が緩和されたことが解るが,それでも1000型は入線不可だった。9系統714号が,交差点に残る一軒家裏手の肥後町下り停留場に停まる。軌道外に1車線分のスペースはあるが,トラックが駐車できるほど交通量が少なく,家電の個人商店も(東芝も殆ど)過去の物となった。(1969.4)

錦林運輸事務所と出入庫線。出庫線には(2)を掲出した1828号を先頭に,1800型が並ぶ。北方向への出庫車は正規の乗降場所を経由しないため,運輸事務所脇で客扱いをする場合があった。操車窓口右側の棚は,本来横板を並べる場所だったが,この時期には既に使用されていない。(1973.3)

西大路三条で信号待ちの22乙系統1834(?)号の前を,四条大宮行の嵐電が横切る。市電沿線にあった5ヶ所の私鉄との平面交差のうち,最後まで残った3ヶ所の1つ。当時嵐電の停留場は「三条口」と称した。(1977.7)

今出川線から河原町線に入る15系統1924号。下鴨線が無かった時代,この亘りは烏丸の河原町線への主要経路だったが,その後も同志社への通学を考慮して運転が続けられた。烏丸線の廃止後に,四河から北野経由烏車方面への系統は設定されず,使用中止になった。(1974.3)