Cover Photos Archive
This page archives former cover photos related to Kyoto City Trams.

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鉄道ファン半世紀|車両写真|向日葵写真館|京都市電の廃線跡を探る


今出川浄福寺を行く22乙系統1608号。当時,今出川通沿いには大きなビルは殆ど無かったが,ジャスコの看板が出る11階建の集合住宅は1972年に竣工したばかりだった。第1期線区間は道幅が狭く,市電時代には殆ど歩道は設置されなかった。(1973.3)


地下鉄烏丸線開業時に登場した10系初期車が終焉を迎えている。前面非常扉に窓が無い初期車9編成は,25年6月時点で1108Fを残すのみになった。登場時は4両編成で中間T車(1300-1600)は88年の増備だから,淘汰対象ではない3次車と同世代になる。写真は竹田駅に並ぶ1107Fと1109F。(2020.6)


廃止直前の壬生車庫前を交通局庁舎から。後院通には1000型が2両停車しているが,回送幕を出し,これから九条へ廃車回送される。内回り出庫線で待機する888号も,翌日には錦林へ転属する。直接制御車が転属回送される一方,烏丸からは700型間接制御車が廃車回送されて来た。(1972.1)


北大路橋を高野へ向かう13い系統1926号。13系統は錦林時代から市電で唯一,停留場に時刻表が掲示される本数の少ない系統だったが,末期には昼間時40~45分間隔まで減便された。(1977.6)


京都駅前西乗り場を塩小路通北側から見る。2番線に6ろ系統1923号,3番線に4甲B系統1846号が停車し,3番線左手には乗務員詰所。背景の中央郵便局は,1961年に現在のタワービルの位置にあった3階建局舎から移転して来たが,西側の駐車場と一体化した再開発が予定される。(1974.3)


朝の烏丸車庫前で輻輳するワンマンカー群。手前西行1835号は(6)の円板を出しているが,烏丸線があった当時,6系統は烏丸車庫前スルー運転が原則だったので,これは東山往復の6乙系統か?東行2610号は円板を出していない。京聯タクシーの跡地は中央信用金庫になった。(1972.3)

烏丸車庫に戻る1861号が,府立大学前の系統通知信号機に白色灯で進入する。13い系統は,以前は(14)現示で進入したが,壬生廃止後は白色灯での進入に変更された。折しも急行時間帯だが,この信号機のために「急行通過停留場」への運転停車が避けられなかった。(1977.6)

丹波橋~大手筋間の伏見線には2ヶ所のクランクがあった。明治期の地形図と比較すると,何れも市営化後に曲線が緩和されたことが解るが,それでも1000型は入線不可だった。9系統714号が,交差点に残る一軒家裏手の肥後町下り停留場に停まる。軌道外に1車線分のスペースはあるが,トラックが駐車できるほど交通量が少なく,家電の個人商店も(東芝も殆ど)過去の物となった。(1969.4)