「市民しんぶん」交通問題特集号(その4)

運賃の二倍も費用のかかる市電
-一日の赤字五百万円
-積もった借金六十八億円

お客が減り,スピードの落ちた市電は,一回乗っていただくのに39円19銭(昭和45年度の場合)も経費がかかっていますが,運賃収入はこの半分,19円99銭(運賃は25円ですが,定期券や割引があるため)しかありません。

赤字なしで行こうとすれば,運賃をおおむね二倍にしなければならない勘定です。こうして出る赤字は市電全部では一日に五百万円,一年間では十八億円にもなり,いままでに溜った赤字は六十八億円というたいへんな額になる,このお金は政府や銀行から借りていますが,その利息だけでも一年に五億円は払わなければならないのです。

現在,市の一般会計(税金でまかなっている市の会計)から,45年度一年間だけで七億五千万円もの補助金をつぎこんでいます。

このような補助金を毎年出して行けば市のほかのしごとにも大きな障りを招くことになります。

一口に赤字十八億円といってもこれだけあれば市営住宅なら七百四十戸も建てられるたいへんな額なのです。


  どうしても高くつく市電

さいきん,どこのお商売でも人手を多く使うしごとは,経営が苦しくなっています。

市電と市バスを比べますと,一台動かすのに,市電は5.4人,市バスは3.2人の職員がいります。これは,市電では,線路,架線の補修,変電所など,みえないところにも人手がいるからです。

また,人手だけでなく,修理をする部品にしても,バスの場合は大量生産の既製品で間に合いますが,市電の場合は,一つ一つ作らなければならないものが多いのです。

このように,市電の方が「人手」も「物」も高くつくのです。

1973年秋に作者らが行った観光路線の実態調査によれば,京都駅前から出る6乙系統は平均150人以上の乗客で出発していたのに対し,大原・嵐山方面行の京都バスでは最大でも110人以下だったので,「乗れる人」は公平とは言えない(この項要確認)。市電の場合,走行路の保守は交通局の負担になり,市バスの場合は道路局等の別部局に外部化されているため,その維持費が交通局のバランスシートに登場しないだけで,社会的費用の観点で比較すれば差は小さくなる。





歩道と安全地帯の間があぶない
中心部では安全地帯への横断も大変

市電は乗ってしまえば,安全な乗物です。しかし,この市電の乗り降りのために,安全地帯と歩道を行ききするには,四条通など,ひっきりなしに走る自動車の流れをわたらなければなりません。市ではこのために,多くの整理員を出していますが,それでもお年寄りなどには,たいへん危ないことです。

  ・・・・・・ですからどうしても
地下鉄をつくらねば

これからの京都の市内交通は,烏丸線,御池線の地下鉄で乗客の大きな流れをさばき,それにキメ細かく走る市内バスと外郭線などの市電をうまく結びつけて,便利な足にする計画です。

地下鉄の経営は当分の間赤字が予想されますが,将来,市外への延長,私鉄との相互乗入れなどで,乗客は増える見通しです。

しかも,地下鉄はスピードが早く,時間も正確で安全です。これらの点から先の明るい地下鉄は,見通しが全く暗い市電とは,性格が違うわけです。

明治時代の京都人が作ってくれた疏水が,いまも私たちの"命の水"を運んで,くらしを支えていてくれているように,新時代の"市民の足"として子孫に残すために,市民みんなで力を合わせ,多くの苦しい条件を乗り越えて私たちの時代に地下鉄を作りあげなければなりません。

  • 市電は楽しい。車内で新聞や本が読める。
  • ゆっくりと街中が眺められる。
       お昼にガラ空きの市電に乗られる時は,確かにそのとおりで,市電には捨てがたいよさがあります。
       しかし一方では,
  • 交通混雑のため,いくら待っても来ない。
  • 乗っても,前に自動車が入り混んで身動きもできない。
       というのも現実です。
       いそがしい市民のみなさんの足として求められるのは,やはり早く走ること,確実に来ることではないでしょうか。