運賃制度と乗車券

Fares and Tickets


戦後の混乱期を別にすれば,市電が単年度赤字に転落したのは1960年度が最初である。翌61年度は親鸞上人の大遠忌による上洛客増加により黒字に復帰したが,62年度に再び赤字となり,以後一度も黒字を計上することはなかった。このため1964年1月1日,53年7月以来10年以上に渡って維持されてきた電車運賃を値上げ。以降,運賃値上げと乗客減少の悪循環が始まる。この値上げ以前の運賃は次の通り。

電車乗車券
(乗切制・小人同額)
片道券13円
往復券25円
回数乗車券11乗車130円
8乗車100円
トロリーバス片道券10円
連絡券18円

乗継制度:以下の場合には,「電車乗継券」が発行された。

(1) 18系統の七条河原町以北と稲荷の相互間を勧進橋で乗継ぐとき。
(2) 深草下川原町以南と稲荷の相互間を勧進橋で乗継ぐとき。
(3) 烏丸線の四条烏丸以南と伏見線の相互間を京都駅前で乗継ぐとき。
(4) 運転上の都合により,運転系統の中途で運転を中止し,または変更するとき。
(5) 定期券については,運転障碍のため指定経路によることができないとき。
    (以上無料)
(6) 電車とトロリーバス相互間を四条大宮または西大路四条で乗継ぐとき。
    (電車→トロバス:金5円,トロバス→電車:金8円)

左の運賃改訂ちらしに見る通り,(3)と(6)の乗継ぎ制度が,この値上げに際して廃止となった。

運賃13円の回数券片運賃15円の回数券片
しかし,この運賃値上げも高度経済成長によるインフレと自家用車の普及,人口の郊外化の中では4年しか維持できず,1968年1月16日から20円に値上げされた。この時から2段階値上げ方式が導入され,半年後の1968年7月1日から25円に値上げすることを前提にした暫定運賃であった。

この運賃改定から市バスの市内均一運賃が導入され(それまでは区間制),ワンマンカーの導入が容易になったことは特筆される。また翌年4月から,それまで大人・小人同額であった電車運賃に小人運賃(15円)が導入された。

以下に15円から25円に至る普通乗車券を示す。乗車券券売機は京都駅前の東西のりばに2台設置されていたが,当時は路面電車の券売機は全国的にも珍しかった。1968年10月から料金箱制度が実施された関係で,25円券が京都市電にとって最後の印刷された普通乗車券となった(記念乗車券を除く)。

電車単独の回数乗車券は15円券が最後で,以降は電車・バス共通の金券となった。次の40円→50円の2段階値上げ(1972年8月)までの期間,回数券は5円券21枚綴100円で,15円当時と同様約5%の割引率であり,これが当時の関西圏の流行(?)であった。京都市のそれは5円券が縦に21枚印刷された,やけに長いものであったが,大阪市のそれは横3枚×7段のシートであった。

運賃15円の普通乗車券運賃15円の券売機券
運賃20円の普通乗車券運賃20円の券売機券
運賃25円の普通乗車券運賃25円の券売機券
金券式5円共通回数券(京都市)金券式5円共通回数券(大阪市)
市電末期は高度経済成長から石油ショックを経て日本経済が急激に変化する時期でもあった。この頃,公営交通にもストライキが頻発した。いつの頃からか半日以上のストライキがあると,定期乗客には次の定期券へ継続する際に「特別乗車証」なるものが1往復分配布されるようになった。左はその例である。定期券の区間に関係なく市電・市バスの全線に無料乗車できるという優れものであった。