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Gleanings from Trolley Days

市電に関する小ネタや断片的情報を集めた拾遺集

方向幕

京都市電の方向幕は白地に黒字であったが,都市によっては方向幕の地色や文字色によって視認性を良くする試みがなされた。

西鉄北九州線は系統番号を乗客案内に用いなかったためその傾向が強く,本線両端の門司・折尾は赤地に白抜き,支線となる戸畑は青地に白抜き,乗入れ先の筑豊電鉄線は(時期に依るが)白地に黒字,本線の中央部(大門~中央町間)を除く行先は白地に赤字などという使分けがなされた。1985年10月20日の戸畑・枝光線と本線東部廃止によって青地の方向幕は消え,新たに東端となった砂津が赤地に白抜きに変更された。

福岡市地下鉄は83年3月22日に博多仮駅~姪浜間が全通し,先に開業していた中洲川端~呉服町間が枝線の扱いとなったが,84年4月27日の呉服町~馬出九大病院前間開業か,86年1月31日の箱崎九大前開業の頃までには,2号線(現・箱崎線)の方向幕は青地に白抜きで表示されるようになった。丁度,北九州線の縮小期と重なったため,JR線への乗入れが白地に黒字で表現されることを含めて,北九州線の伝統が福岡市地下鉄に継承されたような印象を持った。
※左の北九州は,Project WOTAKAから,中央の福岡は,"福岡市地下鉄+方向幕"の画像検索から編集。

戦前の京都市電についても,白抜き文字の方向幕が見られるが,白黒写真では色の判別は難しい。しかし小山徹(「鉄道ピクトリアル」no.356, 1978)によれば,右図に示すように,今出川以北が緑地の白抜き,丸太町~四条間が白地に黒字,京都駅(烏丸塩小路)が赤地の白抜き,七条以南が白地に赤字になっていたとされる。