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Gleanings from Trolley Days

市電に関する小ネタや断片的情報を集めた拾遺集

東山七条

市電最後の分岐交差点となった東山七条では,北詰の進路選択信号機は無論,西詰についても作動状態が維持されていたように見える。この交差点を西から南に渡った8系統が廃止された後,当該分岐を渡る系統は無く,従前の例に従うなら西詰と南詰の進路選択信号機も使用停止とされたはずである。作動状態が維持されたのは,東山七条の西から北へ向かう渡り線の勾配に理由があると推察される。かつて烏丸の操車窓口に「6乙東山七条滑走注意」に類する掲示が出ることがあり,そのような日には6ろ系統は左図に示すように,東山七条を右折して南詰で折返して北上する場合があった。凍結時等に空転を避ける為だったが,そのような運行方法が採れる為には,進路選択信号機が作動している必要がある。

京都市の進路選択信号機は中継信号機タイプだったが,1965年頃までは(他にもあったかも知れぬが)東山七条と千本北大路には,特許公報の図面にあるような古いタイプの進路選択信号機が残っていた。信号機を主体に写真を撮るファンは少ないので,信号機そのものの画像は見当たらないが,唯一「高橋弘作品集3」(交友社,2005)所載の東山七条で8甲系統248号を捉えた写真の背景に,北詰の信号機背面が映っている(中図円内)。表から見たイメージは手信号代用器を2基並べた形だった(右図)。点灯方式が中継信号機タイプ同様だったとすれば,東山七条西詰のように右左折が存在する交差点では全部のランプが使われたが,北詰のように直進と右折の組合せだと,1灯は常時消灯だったかも知れない。 64年10月まで,上賀茂神社からの市バス6系統がこの交差点で堂々とUターンできたほど,当時は交通量が少なかった。