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Gleanings from Trolley Days

市電に関する小ネタや断片的情報を集めた拾遺集

無軌条線の信号機

西大路四条の西詰で折返す100B系統等は末期まで運転されたのに対し,東側の区間運転100F系統の運行は無くなっていたが,架線分岐器・信号機は交差点の東西に最後まで残っていた。無軌条線の信号機の写真は撮っていないが,Web上に東詰信号機の背面写真(左)は見つかる。交差点手前の電柱に進路選択信号機と出発信号機が設置されているのが判るが,それを表側から見ると中図のようになる。ただし当該信号機が点灯していたかについては記憶が無い。また「出発信号機」については,交通信号機との連動の有無も不明だ。(そもそも無軌条線の矢印信号については,路面電車用の信号灯火と異なり道路交通法に定めが無い為,交通信号機と一体化されていない。)

右はGeneva TPGのトロリーバス用信号灯火であり,分岐部の吊架線から(×→)信号がぶら下がっている。場所はCornavin駅南方のServette通とCoutance通の交差点付近で,10-19系統が右折し,6系統が直進する。このため右折が定位になっていて(→)は常時点灯する。(×)と(→)の同時点灯は奇妙に見えるが,(×)は停止ではなく分岐が反位になっていることを示し,次にこの地点へは6系統がやって来ることが解る。(8/2/2026)


Common Carrier

京都市バスで計画されている「差別運賃」については,2023年9月の記事で触れた。京都市では27年度中の実施を画策しているが,ここでは26年4月のBlog記事を再録する。

「コモンキャリア」なる語は交通・通信の分野で用いられるが,前者の場合「公共交通」の要件とされ,①運送を依頼されたら理由なく断ってはならない,②依頼者によって不当な差別をしない,③合理的な運賃で安全に輸送することが義務付けられている。近年,路線バス廃止に伴う代替交通として,デマンドタクシー等の導入が一般化しているが,利用者が住民に限られ,事前登録が必要とされる時点で公共交通から外れる。京都市の非市民に対する差別運賃も,②の原則に反するため公共交通の役割を放棄するに等しい。

マイナンバーカードを交通系ICカードと紐付けることが想定されているが,指摘されるように問題が多すぎる。京都市へ通勤・通学する非市民に高い運賃を課すことは差別的であり,通勤・通学定期券に市民価格を適用することで回避できる問題でもない。例えばリモートワークの普及で,以前に比べて通勤頻度が下がる場合も多いため,頻度だけでは判断できない。また京都市内の医療機関に通院する場合や,定期的に市内の実家に遠距離介護に赴く場合も,非市民料金の適用は不合理だが,高頻度の乗車は期待できない。大津や枚方から京都市内に通院する人も珍しくないから,割引を紐づける範囲を,京都府全域に広げたところで解決しない。

小児運賃や障碍者運賃も一種の差別運賃だが,この場合は居住地と関係なく利用者個人の属性で適用されるため問題にならない。高齢者運賃に関しては,日本では自治体による囲い込みが一般的だが,本来居住地による差別をすべきではなく,合衆国法典Title 49では,連邦補助金が投入される交通機関に対し,居住地と関係なく割引運賃(半額以下だが無料ではない)の適用を要求している。公共交通機関に補助金等の形で国費が投入されていれば,国内居住者全員が何らかの負担をしていることになる為である(地下鉄はこれに該当するから差別運賃はあり得ない)。従ってマイナカード連携を行うならば,居住地と無関係にマイナカードの有無だけで識別すべきだろう(正規の外国人居住者にはマイナカードが交付される)。

手続き的には上限運賃を大幅に上げる認可を受け,その範囲内でマイナカードによる実施運賃を定めることになるが,民営バスとの調整路線にも同様の認可申請を強要することには問題がある。インバウンド客の場合,特に大型荷物のバスへの持込みが問題視される為,荷物料金の徴収には合理性がある。京都市民も海外旅行の際にスーツケースを持ち込むことはあり得るが,年数回の頻度なら負担は納得できよう。しかし前乗り(先払い)に変更しても,運転手が荷物料金の徴収を担うことの技術的問題は解消できない。これに関しては,比較的高額の大型荷物持込み証をコンビニ等で発売し,その提示が無い場合は持込みを拒否する形での実装は可能だろう。

国内自治体では宿泊税の導入が流行している。出国税も含めて,外国人(非居住者)を区別することの社会的コストを考えれば一律負担もやむを得ない。後者については,ビザ交付手数料やJESTA導入時の手数料で代替可能だが,法務省が適切な財源移譲のルールを運用できるかは疑問だ。前者については,宿泊料金によって差を付けることも可能だが,民泊問題に見るように,インバウンド客が全員Luxury Hotelsに泊まる訳ではない。従って観光客の識別という意味では,かつて仏教会の猛反発で中止された「古都保存協力税」に類する観光施設側での徴収について,宗教活動を阻害しない形の妥協点を探ることが望まれる(たとえば檀家の墓参等の明確な宗教活動の除外)。

観光客識別目的では廿日市市の「宮島訪問税」の形態は合理性を持つ。宮島が独立した領域で,入域経路がほぼフェリーに限定されるため徴収は容易だが,この場合も宮島居住者と宮島への通勤・通学者,修学旅行生は課税対象から除外されている。京都市の場合は,入域方法が鉄道だけでもJR東海・JR西日本・阪急・京阪・近鉄と多岐に渡り,京都を目的地としない乗換え需要もあるため,入域交通機関の運賃に上乗せする形での徴収は不可能である(写真は入島税が徴収される宮島桟橋ターミナル)。バス運賃の差別的値上げは,かつて「マイカー観光拒否宣言」を通じて,電車・バスによる観光を奨励していたこととも矛盾する。結局,マイカー・タクシー・ライドシェアなどへの転換を通じて,道路混雑を助長し,バスの運行効率を下げることに通じるから,当面の政策としては悪手と言わざるを得ない。(7/21/2026)


1954年の臨時系統

3桁臨時系統は,成績調書(年報)等に記載される運転記録から採取できるものの,全貌は明らかでない。一方,2021年に開催された京都市歴史資料館の特別展「こんにちは京都市電-京都市電関係資料をひもとく」で展示された「電車臨時運転系統図」は,全臨時系統を記載したものと考えられる。当該系統図が有効だった期間は,1954年3月1日の白川線開通から55年1月15日の錦林車庫開設前日までの約10ヶ月に限られるが,55年8月24日まで運転された叡電乗入れ系統が見られる点は特徴的だ。この時期は臨時系統が2桁から3桁に移行する過渡期のように見えるが,56年10月12日の下鴨線開業に合わせて,臨時系統の大幅変更が行われた由なので,その際に系統番号が3桁に統一されたと推察される。

左の系統図は見難いので,図に描かれた系統の経路を表にまとめる。10の位の1は壬生,2は錦林操車場,5-6は烏丸,7-9は九条になっており,錦林の22系統や九条の72系統のように,そのまま100を加えた3桁系統に移行した系統も散見される。ただ九条の91系統や北野の101系統は,それ以前には臨9や臨10系統と称していたし,宝ヶ池乗入れの110系統は臨1系統だったという風に,臨時系統の桁数は時代と共に増えて来た経緯がある。54年時点でも,11-12-14-15-16系統は正規の系統として別に存在したから,2桁系統については「臨」を付して区別する必要があった。(7/1/2026)

系統番号運転経路後年の番号
11甲みぶ-ぎおん-百万107
12甲みぶ-ぎおん-くまの106
13甲みぶ-ぎおん105
14四洞-千今-百万-ぎおん-四河101
15甲みぶ-七大-京駅
15乙みぶ-千今-烏今-四烏
16みぶ-千北-烏車
22錦車-くまの-円町122
53烏車-烏今-河今-四河149
61烏車-たかの-東七143('57頃)
71乙九車-四大-ぎおん171(?)
72四洞-九大-九車-ぎおん-四河172
74九車-西九ー七大-四洞173
91京駅-勧進-棒鼻191
101北野-堀中-四洞1961.7廃止
110みぶーぎおん-叡電-宝池1955.8廃止
111みぶ-七大-東七-ぎおん-みぶ111
112みぶ-七大-東七-ぎおん-四河
113みぶー千今-河今ー四河
115くまの-円町
121錦車-百万-ぎおん-四大121
150京駅-河今-叡電-宝池1955.8廃止
151烏車-千北-四大ーぎおん150('56頃)
152千北-たかの-東七-京駅141
171九車-四大-ぎおん-百万170
172九車-四大-ぎおん-くまの
173甲九車-ぎおん-たかの
173乙九車-西七-東七-たかの
174九車-西七-東七-くまの179
175九車-西九ー四大-ぎおん-百万175
176九車-西九-円町-千北1963.4廃止


交差点亘線挿入

軌道が新線を開業したり,系統を変更したりする場合に,既存交差点への亘線挿入が必要になる場合がある。最近だと,広島電鉄の駅前大橋ルートに関連して,稲荷町と比治山下に亘線が挿入された。軌道営業と自動車交通を維持しながら,亘線を挿入するのは工程上も容易ではないと想像できる。京都市電の時代には,自動車交通も多くはなく,その意味では工事は今より容易だったが,その一方でインファンド軌道も存在しなかった為,工事自体は大掛かりだったと思われる。

市電営業線で最後に挿入された亘線は,塩小路高倉の南~東間だった。左は当該工事に関する京都新聞の記事(1963.3.8付)で,DRFC-OB会の掲示板に紹介されていたものだ。18系統の京都駅スイッチバックを解消する為の工事で,1ヶ月後の4/20付で供用が開始された。当時18系統は73往復が運転されていた旨の記載があるが,67年時点では44往復に減便されていて,18系統が京都駅に寄らなくなったことが,乗客減を招いた可能性がある。新設亘線の南行は歩道際に設置される等,余裕の無い設計だったが,僅か7年弱で廃止になった。

右は56年発行の「市電・市バス」7号掲載の,河原町今出川交差点に下鴨線への直進軌道を挿入する工事風景である。今出川線との「ダイヤモンドクロッシング」は設置済みだが,掘削区間の手前に見える5系統の南行と2系統の北行の曲線軌道については,交差部分はまだ手付かずになっている。まだ自動車も少なかった時代だが,活線への分岐挿入は現在では一層大変な工事になる。(6/15/2026)


短縮系統表示

ca.1950's, David Cope©1978, Mitch Libby©
PhiladelphiaのPTC/SEPTAでは,短縮系統を赤の斜線で表現した。最初は左のNearside 6723のように,系統板の手前に赤い棒を差し込む形で運用されたようだが,右のPCC all-electric 2748(?)では方向幕表示になった。写真はいずれもGermantown Ave.のMermaid Loopで撮影されたもので,この地点での折返し自体が短縮系統を意味するが,右の行先はBainbridge Loopと,折返し後も途中打切りになっているから,典型的な小運転になる。23系統は1992年2月に暫定バス代行となったが,その状態が34年以上続いていて,電車運転へ復帰の見込みはない。なお代行バス自体も,長大路線ゆえに南部は45系統に系統分割されている。

赤斜線表示は本則と違う系統であることへの注意喚起で,その場合には行先を確認すればよいので合理的と言える。しかしKawasaki 9000型の方向幕では  のように,細かい文字での表示になった為,見易くはなかった。現行のLED表示だと細かい文字の表示は不可能だが,その代り複数の表示を交互に示すことが可能になる。映像はSubway-Surfaceの地下区間が工事等で使用不能な場合に,40-Marketで地下鉄に接続するための代替ルートを走るKawasaki車で,当時の34-13-11-36系統が"ROUTE DETOURED"を表示するのが見られる。なお当該系統は,2025年2月からT2-T3-T4-T5系統に改称された。

京都市バスでは短縮系統に「入庫」を使う場合があった。本当に入庫する系統もあったが,206B系統(東山通往復)の南行が  を表示するのは奇異に感じた。京都の場合,漢字による記載も不適切なので,直感的な短縮系統表示が望まれる(系統幕は「市バスの系統を探る」から借用)。(5/19/2026)


都電系統板

識別のために系統板を色分けしている都市は多かったが,複数の車庫を有する場合でも,京都・神戸のような車庫別の色分けは稀だった。東京の系統板は白地で,文字色は黒と赤の2種類があったが,これも所属とは無関係だった。左は江戸東京博物館で2011年に開催された「都営交通100周年記念特別展」で展示された,いわゆる壺型系統板の画像を営業所別に編集したものだが,全体として都電40系統中,黒文字22系統,赤文字18系統と,黒文字がやや優勢だった。

2箇系統以上を担当する営業所は黒と赤の組合わせになり,どちらかと言えば主力系統の側に黒文字が使われたように見える。例えば三田では1-37系統は運転回数が多く,2系統に至っては1日4回の低頻度系統だった。また都庁前発着の28-31系統では,色分けで乗客の識別を助けたのかも知れない。1箇系統しか担当の無い営業所の系統は黒文字かと言えば,南千住の22系統は赤文字を採用している。ただし電照式系統板は赤文字優勢だったので,交通局自体,気にしていなかった可能性もある。

都電では基本系統の短縮系統(short turn)は同じ系統板を用い,基本系統から分岐する系統を「臨時」と称し,本来の系統板の上に「臨時」と記した細い板を付加した。例えば本来の1系統(品川駅-上野駅)に対して,臨時1系統は室町三丁目から分岐して蔵前線を雷門へ向かったが,臨時が設定された系統は限られていた。名古屋では短縮系統にピンク→黄色の地色を用いたこともあったが,余り組織的に行われたようには見えない。一方で15系統(浄心-名駅)や71系統(尾頭橋-下之一色)のように,専用の系統板を表示する短縮系統も存在した。熊本市電では路線縮小後に3系統:上熊本駅-神水橋と短縮系統:上熊本駅-交通局前が交互に運転されていた時期があって,前者は紺色,後者は赤色の地色を用いて区別していた。

京都市では1952年12月の系統全面改定時に,短縮系統に10番台が振られた経緯がある。そのうち12系統だけが長く2系統の短縮系統(天王-西四,後に四河-西四)だったが,当初は14系統(烏車-西四)は4系統,15系統(四河-四大)は5系統,16系統(四烏-百万)は6系統,17系統(九車-祇園)は7系統の短縮系統だった。後に系統変更の結果,12系統以外の短縮系統は「臨」表示になったが,内部的には3桁の系統番号が振られていたことは別掲の通りである。(4/26/2026)


六条通?

京電に停留場制が導入された当初は,位置を厳格に捉えていたと見え,僅かな移動も停留場名の変更を伴った。左図は西線・烏丸線・東線の五条~七条間の停留場名の変遷を路線図・地図から拾ったものである。東線(木屋町線)では,上ノ口通から六条通を越えて市比売神社の横(停留場名は「市姫」;改軌後に六条へ戻る)へ移動し,隣の御影堂(町)も少し北の五条小橋に移動している。良く解らないのが「六条通」の扱いで,西線(西洞院線)では,雪駄屋通(≒楊梅通)→魚ノ棚通と移動したが,魚ノ棚通が現在の六条通に当ることから,後に西洞院六条に変更された。しかし初期には西六条→西洞院六条は,もっと南の正面通に当る場所にあり,当時は東西の通りでありながら「御前通」と呼ばれていた。烏丸線ではかつて不明門通の御影堂門の正面に東本願寺前があったが,北隣の烏丸魚棚を1本南の花屋町通に移転・統合して東本願寺前とした。しかし市バスは今でも同じ位置で烏丸六条を名乗る。

東西の通りの数え唄では:
  丸竹夷二押御池,姉三六角蛸錦,四綾仏高松万五条,
雪駄ちゃらちゃら魚の棚,六条七条通り過ぎ,八条越えれば東寺道,九条東寺でとどめさす,※注
と唄われる。「ちゃらちゃら」は銭屋町通を意味するが,かつて魚の棚(現・六条)と七条の間に六条通が別に存在した時代があったらしいことが判る。なお後白河法皇の六条御所は西洞院六条にあったとされるが,豊臣時代に富小路に移され,旧跡ははっきりしない。何れにしても京都の近世条坊制で,六条通は影が薄い(図中細線は六条通の凡その位置)。(4/12/2026)

※注:六条以降は「六条三哲通り過ぎ,七条越えれば八九条,十条東寺でとどめさす」というバージョンもあるが,十条通の開通は1904年であり,後年に改変されたものと思われる。また三哲と七条,十条と東寺の逆転もあって正統と見なし難い。


京都バス10系統

京都バス10系統(比良線)出町柳駅~朽木学校前間は,3/16~12/15の土休日及び8/14~16のみ運転という変則的な路線だったが,昨年12/14(日)に遡って最終運行ということになった。朽木学校前への延長や平日運行の取止めの正確な日付は判然としないが,市電のあった時代は葛川梅ノ木が終点だった。左上は1967年の小出石以遠への運行時刻表で,北山クラブ,「京都周辺の山々」,創元社の第4版(1967)に添付されたものである。葛川梅ノ木までは毎日2便だったが,滋賀途中までの折返し便が5便あり,かつて接続する江若バスに乗換えて堅田側へ抜けることが可能だった。(当時は梅ノ木まで2時間弱掛った。)

地下鉄・烏丸線開業による系統再編でも,左下の1981年の「京都公共交通時刻表」掲載の北行時刻を見ても,小出石や途中までの便が北大路駅発着に変更されたことを除いて,同じ便数が維持されている。1970年代後半,京都市内に乗入れる路線バス(高速バスを除く)は,市バス・京都バス・京都交通・国鉄バス・京阪バス・近鉄バス・阪急バス以外に,奈良交通・京阪宇治交通・江若交通・滋賀交通・近江鉄道バス・帝産湖南交通・丹後海陸交通があり,京都市内から天橋立・奈良・信楽等へ路線バスで直通することが出来た。

京都バスの告知には,小出石~朽木学校前間について「他の交通手段での移動をお願いします」とあり,これに該当する公共交通としては,江若バス51系統(堅田葛川線)がある。これがカバーするのは途中~細川間のみであり,これとて春分の日~12月第1日曜日の間の土休日と8/14~16に1日1往復の運転なので,代替交通としては機能しない。高島市営バス(針畑線)で,梅ノ木~朽木学校前間はカバーされるようだが,京都から朽木学校前へ行くだけなら,湖西線・安曇川駅から江若バス・朽木線が利用できる。

東山通のように,乗客が多すぎて維持困難な路線は例外で,多くは過疎化の進行とマイカーの普及により貴重な運転手の労働力を振り向けることが困難になっている。鉄道廃止後は代替バスを走らせるのが一般的だが,代替バスの乗客は鉄道の4割程度に減少することが経験上知られており,その後の需要減で,バス路線としても維持できなくなった例は多い。更にバス運転手の不足が,供給面から安易な鉄道廃止を阻む要因ともなり得る。(4/1/2026)