(A) 壬生514型 | (B) 錦林(1963) | (C) 九条1800型 (1972) | (E) 烏丸1800型 (1974) |
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試 運 転 故 障 回 送 団 体 た か の 植 物 園 河原町今出川 く ま の 烏丸丸太町 千本丸太町 円 町 四条西洞院 烏丸今出川 (白幕) 百 万 遍 千本今出川 み ぶ 四条大宮 ぎ お ん 銀 閣 寺 千本北大路 烏丸車庫 四条烏丸 北野・金閣寺 百 万 遍 千本今出川 み ぶ 四条大宮 四条河原町 ぎ お ん 九条大宮 七条大宮 大宮・京都駅 烏丸・京都駅 京 都 駅 烏丸・北野 千本・北野 北野白梅町 東山七条 西大路四条 西大路七条 い な り |
試 運 転 故 障 回 送 団 体 (白幕) 植 物 園 百 万 遍 烏丸今出川 千本今出川 く ま の 烏丸丸太町 千本丸太町 円 町 (白幕) 白 梅 町 西大路四条 西大路九条 銀 閣 寺 今出川・銀閣寺 丸太町・銀閣寺 錦 林 車 庫 四条河原町 京 都 駅 (白幕) 河原町二条 ぎ お ん 四 条 大 宮 東 山 七 条 西大路八条 九 条 大 宮 い な り |
試 運 転 故 障 回 送 貸 切 百 万 遍 白 梅 町 銀 閣 寺 く ま の 錦 林 車 庫 今出川銀閣寺 円 町 西大路九条 九 条 車 庫 烏 丸 車 庫 東 山 七 条 西大路七条 九 条 車 庫 四 条 大 宮 ぎ お ん 西大路八条 四条河原町 四条西洞院 (白幕) |
試 運 転 故 障 回 送 貸 切 烏丸今出川 四 条 烏 丸 西大路七条 金 閣 寺 京 都 駅 烏 丸 車 庫 (白幕) 烏丸車庫入 庫 東 山 七 条 百 万 遍 た か の 九 条 車 庫 (白幕) 下 鴨京 都 駅 今出川京 都 駅 京 都 駅 烏 丸 車 庫 植 物 園 今出川烏丸車庫 西大路四条 下 鴨四条河原町 今出川四条河原町 四条河原町 千本北大路 千本今出川 円 町 河原町二条 西大路九条 ぎ お ん 白 梅 町 |
(D) 伏見線系統 | |||
河原町今出川 京都駅・河原町二条 河原町二条 京都駅・四条河原町 四条河原町 京 都 駅 京都駅・中書島 中 書 島 京都駅・いなり い な り 棒 鼻 京都駅八条口 京都駅・九条車庫 九 条 車 庫 |
説明のため,(A)(B)については1969年時点で常設系統が使用したコマ,(C)(E)については1972年1月の千本・大宮・四条線廃止以降74年4月の烏丸線廃止までの間,常設系統が使用したコマを黒色,それ以外を灰色で表示している。
(A)「団体」は1964年1月の運賃改定で「貸切」制度が制定される以前に使われたコマであるが,514型を貸切に使用する物好きが居なかったためか,「団体」のコマが残っている。「九条大宮」が後から追加された形跡があるが,これは1963年6月20日以降21系統が使用するようになった。早朝・深夜の出入庫便が使用した「千本丸太町」「烏丸今出川」や,祇園祭の時にしか使われない「四条西洞院」「四条河原町」も入っている。「いなり」のコマが入っているのは奇異に感じられるが,これは初詣時などの応援運行を想定したもので,後の1800型ワンマンカーの方向幕にも入っていた。しかし実際に使われたことはないと思われる。 壬生所属車には「白梅町」のコマは無く,「北野白梅町」であることが特徴的であった。今出川線が北野紙屋川町止まりであった期間には「きたの」を使用したが,狭軌線の「北野」とは別停留場であることを強調したかったのかも知れない。 (B)は錦林車庫の幕であるが,「たかの」が無いため(13)系統の烏丸移管後に対応する。しかし(A)と同じく,1963年末で廃止された「団体」のコマが残っているため,厳密には1963年6月~12月の短い期間の需要に応えるものと言える。「烏丸今出川」「千本今出川」「円町」「四条大宮」「ぎおん」「東山七条」等は,毎日使用する臨時系統があり,「百万遍」「河原町二条」等は祭礼時の臨時系統が使用した。しかしかつて(22乙)系統が折返していた「西大路七条」は無く,西大路駅のアンダーパスが冠水して通行できない場合に使用された「西大路八条」が入っている。この幕にも「いなり」が入っているが,一時期2甲系統が延長運転を行った名残であり,「植物園」は団体対応だと思われる。 (C)千本・大宮・四条線廃止以前には,「四条大宮」「ぎおん」「円町」「今出川銀閣寺」「錦林車庫」が使用され,「烏丸車庫」が使用されなかった。「四条西洞院」「四条河原町」は(A)と同じく祇園祭対応である。「西大路八条」は(B)と同じく西大路駅の冠水対応であるが,九条通からの電車は西大路九条で折返し運転を実施した。「七条千本」のコマが入ってないのは,ポンプ室が機能していたためであろう。 (E)烏丸車庫は末期まで系統網を維持した車庫であるので,最盛期と大きく変化しておらず,壬生廃止以前の常設系統が使用したコマで欠けるのは「四条大宮」だけである。「九条車庫」は1974年4月の烏丸線廃止に伴う16系統の移管によって追加されたが,その時に削除された可能性が高い。烏丸線廃止後半年以上経って4・6系統の連続運転が開始されたが,「烏丸車庫入庫」のコマは,同じ「烏丸車庫」行でも13い系統のように必ず入庫する系統と,前途へ継続する系統を区別するために挿入された。「四条烏丸」「円町」「西大路九条」は毎日運行される臨時系統があったが,「河原町二条」は山鉾巡行のため年1日だけ使用されたコマである(これには下鴨・今出川の区別がないため,車庫前以西から乗車の場合に経路が判らず混乱した)。 |
![]() 白の円板と「貸切」方向幕の701号(錦林所属車) |