八条口操車場

Hachijoguchi Dispatcher

京都市にお勤めの彩雲様からのご要望により,八条口操車場の写真を掲載します。


京都電気鉄道は,1895(明治28)年2月1日に七条停車場~伏見油掛町間で開業したが,国鉄線を横断する許可がなかなか下りず,市内線へは東洞院踏切南詰から徒歩連絡を強いられた。従って,少なくとも開業当初から1901(明治34)年に高倉陸橋が完成するまでは,伏見線の車両は国鉄線の南側に封じ込められていた訳で,当然線内に車庫(当時は車倉と呼んだ)が必要であった。

その車庫は東洞院踏切の南東側,現在の京都駅8番線ホーム東側付近にあった。開業時の伏見線車両はわずか6両であったので,留置線程度のもので足りたと思われる。これが東洞院八条の南西側,現在のアバンティの位置に移動したのは,1899(明治32)年5月である。この時,京電は水力発電の休止日に対処するため,自前の火力発電所を建設し,留置線を併設・移転した。この時代の話については,実際に見た人は殆ど生き残っていないので,大西友三郎「京都電気鉄道物語」(鉄ピク No.356「京都市電訣別特集」, pp.30-37)を参照されたい。

その後,市内線との連絡によって東九条留置線の必要性は薄れたが,1918(大正7)年7月の京電買収,1921(大正10)年6月の伏見線・広軌仮開業を経て,1928(昭和3)年10月12日に当地に市電東九条仮車庫が設置されるまで,多少の留置線は残っていた可能性が大きい。この当時の狭軌線のメインの車庫は三哲であったが,1927(昭和2)年4月5日の河原町線(南部)開通によって,残る狭軌線は北野線だけとなり,1928(昭和3)年1月の北野車庫への統合によって廃止となるが,後年バスの車庫になっても留置線1本は残された。

下に昭和初年の九条通上空から東本願寺方面を望んだ航空写真を掲げる(改造社版「日本地理体系」7:近畿篇, 1929年10月刊から転載)。不鮮明ではあるが,八条口操車場の位置に柳線があり,単車が停まっている状況は見えるだろう。その北側の3階建は東九条変電所で1925(大正14)年の開設である。この変電所は伏見線廃止後も,市電最期の日まで操業を続けた。その所在地は,南区東九条西山王町27であった。

注目すべきは,高倉通と東洞院通の七条~塩小路間に軌道が見えることである。河原町線開通から1ヶ月は,七条内浜~七条烏丸~烏丸塩小路のルートで広軌車両が運行されたようだが,狭軌線の京都駅乗入れルートであった東洞院線と,かつての乗入れルートで1920(大正9)年に一旦廃止されていた高倉線を同時に広軌化して,5月11日から一方通行の新ルートとして再利用したものである。東洞院・高倉ルートは,塩小路線の延長によって1929年(昭和4)年1月15日限で休止となる(廃止は翌年)。

さらに東九条仮車庫の開設が1928年10月12日であることを考えると,この写真の撮影時期は1928年10月12日以降,29年1月15日以前のわずか3ヶ月間に特定できる。(少し深読みのしすぎかも。) この時点では,三哲の庁舎南側にも柳線らしきものがあり,電車が多少居るようにも見える。なお京都駅前の植栽帯の中に有名なループ線が見えるが,このループ線の設置は1927(昭和2)年4月22日である。

九条通の市電は伏見線車両を収容する車庫を設置すべく,大石橋~九条車庫間が1933(昭和8)年8月5日に先行開業する。九条車庫の開設と引き換えに,東九条仮車庫は5年間の役割を終える。1937年11月に九条線が東福寺~油小路間に延長されるまでは,九条車庫は伏見線専用の車庫であったと思われるが,南口操車場として伏見線の運行を再度担当するようになった時期は不明である。ともあれこの操車場が担当したであろう系統番号の変遷は以下の通り。

中書島系統1199(,18)
いなり系統10補九19

なお南口操車場の位置に市バス・八条運輸事務所が開設されたのは,1954(昭和29)年12月20日の三哲運輸事務所廃止の翌日である。その後,新幹線開業に伴って京都駅南口は京都駅八条口に改称され,1970年3月31日の廃止を迎えた。

八条口操車場(詰所)の建物と留置線で出番を待つ廃止記念車501号。「京都駅八条口」の停留所標識の付いた電柱には,3現示の指令用信号機が設置されている。(1970.3.31) 留置線の終端側。市バス八条車庫に間借りしている感じだが,左端に見える新幹線高架橋から撮影位置が推定できよう。この左後ろ(構内北西端)に市電東九条変電所があった。
八条口操車場前の乗務交代風景。いなり行601号は乗務交代ではなく,単に連絡事項の伝達だと思われる。(1969.12.17) 詰所入口脇に並べられた八条口担当系統の「横板」。ホーロー製で,系統単独の板以外に9+18(中書島系変用)もあった。