四条線最後の夏

The Last Summer of Shijo Line

このページでは1971年7月撮影の四条線(東洞院~西洞院間)の写真をまとめる。撮影日の記録は無いが,7月15日午前中のストライキ告知が掲出されていることから7月14日以前,長刀鉾に渡る梯子が設置されていることから曳初め(通例12日午後)以降となるので,7月13日(火)または14日(水)の撮影ということになる。(四条河原町では,当時水曜定休だった高島屋が営業中の雰囲気なので,13日の可能性が高い。)

宵山・巡行時の四条通に関連する臨時運転系統

←祇園祭の鉾 ・・・例年7月17日と24日と2回に氏子の町々より出され,鉾5,山22台ある。写真は前の祭の先駈長刀鉾で,正面に稚児が舞ひ,下に音頭取が進行の合図をしてゐる。…練行には電線を切る。その後に続くは山である。(日本地理体系「近畿篇」1929):戦前の四条通はセンターポールであったが,ダブルトロリー終端の架線柱の白塗は停留場標識であろう。コロ用の割竹が散乱しているので,辻回しが行われた四条寺町西入の可能性が高いが,当時の巡行コースは寺町通を松原まで南下したため架線切断を要した。


四条通の鉾建て区間の東端に位置する長刀鉾の横を抜け,1乙系統1968号が四条烏丸に到着する。 四条烏丸交差点は銀行の支店に占有されていて,南東角の三菱銀行はイオニア式の壮麗な建築だった。長刀鉾を遠景に,西進する7甲系統1626号。
北東角の三井銀行をバックに,1甲系統1817号が交差点を渡る。烏丸線では交差点の南北に画面右上に見える擦り板が設置されていて,その位置で架線を切断することができた。 四条室町を境に東は南側からの片持ち吊架,西は仮設センターポール区間に切り替わった。片持ち吊架の西端に位置した函谷鉾の横を20甲系統886号(銀閣寺行)が通過する。
東詰から斜めに伸びるワイヤーは,センターポール区間の架線切断時に張力を与えるためのものであろう。函谷鉾の横を1乙系統1832号が,1本目のセンターポールに接近する。 四条烏丸~西洞院間の仮設センターポール区間の南側には月鉾が立つ。その横をツーマン代用の20甲系統1814号(北野・金閣寺行)が走り抜ける。
仮設センターポール区間の西端は四条新町付近であった。斜めに伸びるワイヤーは途中にフック等が入り,かなり複雑な張り方である。トラ縞から西端のセンターポール位置が判る。電車は17甲系統1023号。 市電が走った時代には四条傘鉾はなく,四条通の鉾建て区間の西端は西洞院東入の郭巨山だった。信号は緑だが,7甲系統1621号は南東角の電柱に付いた系統通知信号機の現示待ち。

「祇園祭のため
7月16日 18時30分頃~23時頃
7月17日 8時30分頃~12時30分頃
西詰で折返し運転を行ないます
              交通局」
(四条西洞院東詰電停の看板)
※四条線があった時代,宵山は1日だけだった。四条西洞院の亘りは北野線廃止後に東詰から移設された。
祇園祭に伴う市バス経路変更について(2017)(Rev. 6/25/2007)