四条線最後の夏

The Last Summer of Shijo Line

このページでは1971年6~9月撮影の四条線の写真を,祇園から四条大宮に向かって紹介する。このうち祇園祭の鉾立て区間(東洞院~西洞院間)については次ページに譲る。四条線は当時の財政再建計画では1971年9月末の廃止が予定されていたが,反対運動の結果,約4ヶ月の延命が図られた。
   四条通を運行した常設系統は1・7・17・20の4箇系統であり,1系統の運行本数の方が7系統より多かったはずだが,7系統の1600型が被写体となった頻度が勝る。折りしも東寺では「東寺密教と戦国武将展」を開催中で,7月撮影分には旅客誘致看板も見える。
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祇園石段下の1甲系統1822号と7甲系統1634号。西行の安全地帯は交差点から随分離れていたことが分る。1甲系統の後からは7乙系統も接近中。 阪急河原町延伸以降,祇園折返しの常設系統は消えたが,安全地帯が折返しポイントの両端にある配置は独特で,他には最晩年の百万遍南詰位しか例がない。石段下で信号待ちの1甲系統1817号。
四条京阪で1900型特急の通過を待つ7甲系統1621号。京阪電車は消え,公営交通のストライキも年中行事では無くなったが,東華菜館の建物は当時と変わらない。 こちらは四条大橋上で三条行の通過を待つ20甲系統ツーマン代用の1815号。四条駅の南行ホームにも同じく2000系通勤車が停車中。
四条河原町交差点を行き交う7甲系統1608号と7乙系統1617号。南西角の高島屋は今も変わらない。 四条河原町を渡る7乙系統1633号。後には1000型が続く。南東角の阪急百貨店はまだ住友銀行で,阪急電車に対抗して設置された京阪電車の看板は,両社が京阪間直通旅客誘致を競った時代を物語る。

1971年3月時点の四条通の安全地帯・信号機・横断歩道配置
新京極入口を通過する17乙系統1622号。かつてはここにも停留場があったが,四条河原町に統合された結果,「四条河原町新京極」という長い停留場名が生まれた。
四条堺町に停車する7甲系統710号。新京極が統合された時に,一筋西の高倉(大丸前)から移設されて来た。四条通もこの辺りでは鉾建ての影響はなく,むしろ閑散としている。
四条西洞院を西へ向かう7甲系統1621号。右手の電柱には系統通知信号機が設置されている。かつてN電は手前から左側にカーブして四条線に合流していた。 もう一つのN電分岐点であった四条堀川を,車に囲まれて進む1甲系統1800型(車号はバイクの陰で読み取れない)。四条堀川の広軌線の停留場は永らく休止扱いになっていて,N電のみ停車した。
かつて京都の西の交通の要衝であった四条大宮では,市電は全方向2重停車した。東詰電停に1乙系統1805号と7乙系統1637号が行き交う。トロバスは既に無いが,南西角には嵐電の旧駅が見える。 四条大宮は五差路で軌道は独特の交差形状だが,北詰の進路選択信号機は右左折現示だった。唯一90度の交差角を持つ四条から大宮への曲線を,17甲系統693号(?)が行き,後に7甲系統1600型が続く。