市電交差点の渡り線

Crossovers at the Intersections

このページでは,1946年以降の京都市電(広軌線)の路線網に含まれる交差点について,かつて存在した渡り線のうち1964年時点で撤去されていたもの(RED),或いは常設系統の設定が無かったもの(GREEN)を取上げ,その使用時期と使用方法をまとめます。ただし車庫・貨物線等の引込み線は省略しています。


  • 常設系統が走行した渡り線については,系統名と使用期間を示し,常設系統の記録が無い渡り線については,主たる用途を記載した。ただし七条大宮の東~南,七条内浜の東~北の渡りに関しては,使用記録も業務上の必要性も見出せない。
  • 図に表示された各交差点の渡り線がすべて同時に存在した訳ではない。特に3方向に渡り線を持つ交差点の内,すべての渡り線が同時に存在したことが確認できるのは百万遍のみである。
  • 29.1.16に4A系統(川端丸太町-河今-千今-千丸-河丸-内浜-烏丸塩小路),4B系統(川端丸太町-熊野-東七-内浜-烏丸塩小路)が計画14号線経由に変更されて以降,系統変更の記録はなく,31.10.10に既設1系統(東福寺-東七)を4系統に改称という記録が残るのみである。このため4A-4B系統の運転終了を31.10.9とする確証はない。
  • 49.12.17に運転を開始した京都駅-宝ヶ池系統は,当初東山経由であったが,50年4月に百万遍の西~北の渡り線が設置されたことにより,河原町経由に変更されたと記録される。
  • 戦後の「親子電車」(600型が無動力の広軌I型を牽引)は1系統と4乙-5系統に運転されたが,運転期間は47.12.10~48.10.20の短期間に留まったとされる。後者は京都駅前のループ線を経由せず,4乙-5乙-5甲(及びその逆)の順に連続運行したが,九条大宮ではデルタ線を使用した方向転換が必要になった。
  • 烏丸丸太町の東~北には26.7.13まで狭軌の渡り線が存在し,12-13系統が使用していた。
  • (9/17/2016)