Gleanings from Trolley Days市電に関する小ネタや断片的情報を集めた拾遺集 |
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こちらにも書いたように,京都駅前西乗降場から東乗降場へ伸びる複線がいつ塩小路線に接続されたか,情報が混乱していて判然としない。「交通事業成績調書」には軌道補修や架線張替等の情報も事細かに羅列されるが,1959年度版までの範囲には東乗降場の軌道工事に関する明確な記録が見当たらない。上図は53年の都市計画図で,京都駅前乗降場が従来線より約7m南に整備されることが判り,西乗降場については52年9月20日に供用されている。しかし東乗降場については,塩小路通上の従来線を引き続き使用したため,暫く複々線の様相を呈した。成績調書の関連する記録は以下のようである。
J.W.Higgins氏の写真の日付(59.5.10)が正しいなら,この時点で東乗降場は供用されていない。東詰のアーケードが写っていないが,上の記録に「東詰南側」とあるように,旧伏見線側上屋(108m2)のみが先行して完成し,河原町線側の上屋(残り71m2)は塩小路通の軌道移設後に着工したと考えられる。 中図は58年度の「成績調書」に掲載された分岐器一覧(部分)であるが,この図には58.12.11竣工の七条烏丸東詰の亘線と,59.2.4に撤去された塩小路東洞院の亘線の双方が記載されているので,ほぼ59年初頭の状況を表すものと考えてよい。この時点では,東乗降場の軌道は西乗降場と接続されておらず,信号保安装置も設置されていないことが確認できる。 59.2.10の軌道用地の借地申請は僅か40m2と狭小であり,これが却下されたことにより2月19日に工事方法の変更を申請し,60.9.7に竣工したとすれば,東乗降場の正式運用開始は60年9月であったと見て差し支えないだろう。東詰場内信号機(下左写真)下の進路予告灯は(1)(2)であるが,左側に(3)のランプが見える。信号扱所は軌道より先に竣工しているので,却下された借地は幻の東3番線の用地だったのだろうか? 「交通事業成績調書」の発行は59年度が最後で,以降は月報(交通事業概要)のみの発行になった由だが,月報だと冊数が多くなるため,これを組織的に収蔵する閲覧施設は存在しない。従って60年度以降,「交通事業概要」が年刊化する67年度以前の記録の確認はかなり困難だが,東乗降場に関する軌道工事が60年度前半に施工されたことは間違いなかろう。(11/20/2021) |