終車通過時刻表

Connection timetable for the last runs effective Nov., 1964

このページでは2016~21年の間,岡崎公園の案内所として利用された1860号車内に掲示された,1970年4月時点の「終車通過時刻表」を,交通局資料に基づいて本HPの基本期間である1963年6月~69年9月における時刻表に復原し,初・終電時に特徴的な運転系統を読み解きます。


※まなみ様提供の画像をベースに復原,クリックにより拡大。


「終車通過時刻表」に掲載された系統のうち,常設ではない臨時系統を拾うと以下のようである。系統番号不詳のものは空欄,(括弧)を付すものは錦林運輸事務所開設以前の系統名である。終車通過時刻表に掲載されない区間については,標準的な所要時分を用いて時刻を外挿したため,数分程度の誤差を含む。また「終車区間」は,当該系統が(終)の円板を表示する区間であり,それ以外の区間では原則として(臨)を表示した。ただし,臨20入庫の壬生→銀閣は(20),(壬特4甲)の壬生→京駅は(10),(壬特4乙)の壬生→千北は(21)になる。無軌条線については,特異な系統の出現する余地がないため,記載を省略している。

所属系統名接続運転時刻終車区間
壬生(壬特4甲)10・11甲から 壬生七大京駅四烏烏今烏車千北千今壬生千北→千今
22:5523:0223:0723:1023:1623:2623:3323:3923:4423:55
(壬特4乙)21甲から 壬生千今千北烏車烏今四烏京駅七大壬生烏今→京駅
京駅→壬生
22:5223:0423:1023:1923:2523:3523:4223:4923:5424:00
臨20入庫
(錦林A入)
20乙から 壬生祇園熊野銀閣熊野千丸壬生錦林→千丸
23:0223:1623:2223:3023:3223:4323:5524:00
錦林 錦林百万烏今千今壬生祇園熊野錦林壬生→熊野
23:0023:0823:1423:1923:3223:4723:5223:58
錦特5 錦林百万河今烏今河今百万錦林銀閣→河今
烏今→河今
23:3123:3723:4023:4323:4423:4723:5023:56
錦特22甲から 錦林銀閣錦林錦林→銀閣
23:4623:4823:5023:52
烏丸烏特24乙から 烏車千北円町千北烏車白梅→円町
23:1623:2223:3223:3323:4323:49
烏特55乙から 烏車千北烏車烏車→千北
23:4023:4623:4823:54
1436甲から 烏車洛北百万洛北烏車高野→百万
23:1923:2223:3023:3223:4023:44
1426甲から 烏車洛北高野洛北烏車烏車→高野
高野→烏車
23:4023:4323:4723:4923:5323:57
14915甲から 烏車烏今河今河丸四河河丸河今烏今烏車烏車→烏今
河今→四河
四河→烏車
23:2523:3023:3323:3723:4323:4523:5023:5423:5624:01
1534乙から 京駅七大壬生千丸千北烏車壬生→烏車
23:2323:2823:3823:4423:5424:00
九条(南特A入)18→9系変 八条河二勧進中島勧進京駅九車大石→京駅
京駅→大石
22:3022:4622:4923:1023:2523:2623:4123:5123:5223:59
(南特B入)9から 八条京駅大石勧進中島勧進大石九車勧進→中島
中島→九車
23:1023:1423:1523:2023:2523:4023:4023:5523:5924:01
(南特C入)19から 八条京駅大石勧進稲荷勧進大石九車大石→稲荷
稲荷→勧進
23:2623:3023:3123:3623:4123:4423:4423:4723:5123:53
278甲 九車京駅四河河今銀閣錦林熊野円町西九九車千丸→九大
22:3222:4022:5023:0123:0823:1623:2123:3623:5123:58
(九特3) 九車東七熊野錦林百万河今四河京駅九車四河→塩高
22:4822:5723:0823:1623:2423:2923:4023:4923:5023:57

  • 伏見線が存在していた時期には,四河以南で河原町線南行最終となる便は九条の応援運行であった。「京都駅・九車」行の標記は河今以南に登場したが,この運行は時刻表では熊野まで遡ることが可能で,熊野までは九車から東山線を北上する循環系統になっていた。
  • 丸太町線西行の最終は,千丸以東が壬生の臨20入庫系統であった。その終車区間を錦林→千丸としたが,千丸→壬生には同時刻で1甲系統の終電が運転されていたため,どちらが終車を名乗ったか定かではない。
  • 千丸以西では,円町以南の西大路線を含めて,九条の応援運行(278系統)が最終であった。この運行は百万まで遡ることができるが,百万までは河原町線を北上して来た。この運行の京都駅以南は九車出庫として表示しているが,八条口(操)からの入庫経路だった可能性もある。
  • 22甲系統は平日朝夕のみの運転であったが,22乙系統についても常設系統としては営業時間が短く,錦林発21:00が終車であった。

  • 烏特5系統(烏車→千北→烏車)は,5乙と15乙に接続して運転されたが,運転時刻から最終運行は5乙に接続すると判断できる。
  • 烏丸線北行の烏車以西への最終は壬生の応援運行であり,10甲の延長運転と推察される。同様に烏丸線南行の烏今以南への最終も壬生の応援運行であり,21乙系統を京都駅まで延長運転する形態であった。
  • 四条線東行の最終は錦林の応援運行で,1甲の熊野~百万間を経路変更した循環系統だった(系統番号不明)。
  • 終電間際の高野からの西行時刻表は,23:36(143系統)→23:46(6乙系統)→23:47(13い系統)→23:49(142系統)となるため,142系統が最終になると判断される。

  • 伏見線では18系統の最終として河二を往復した便が,中書島に戻って9系統の最終として京都駅を目指し,京都駅から九車行の終車になるという複雑な運行があった。
  • 八条口操車場からの入庫系統を「南特A入」「南特B入」等としているが,「南」は南口を意味するから,この呼称が継続した場合でも「南」は「八条」に読替える必要がある。稲荷からの入庫便は錦林営業所開設以前には存在しなかったが,順当に考えれば「南特C入」が適当であろう。

  • 以上まとめると,区間・方向別の終車は左図のようになる。図中赤線が上表の臨時系統,黒線が常設系統になるが,後者は乗務系統として完全であっても,車庫前からの前途が不完全な場合には,終車区間を除いて(臨)表示になる。
  • 上で読み解いた,伏見線廃止以前の終電時の応援運行を左図にまとめる。途中に折返しを含む系統については,主要部分のみを抜き出している。実線部分は当該車庫の常設系統が運転されない区間であり,例えば九条の銀閣→円町→西七間,祇園→銀閣→河二間,錦林の千今→四大→熊野間等が該当する。烏丸線については,全区間に壬生の常設系統が存在したが,烏丸線全線を走破する系統は(初)終電時にのみ運転された。

  • 初電時には,原則として上表と同じ(往復),または逆回り(循環)の系統が運転されたが,伏見線関連の出入庫系統に関しては京都駅往復の有無により非対称になった。
  • 「南特A入」に該当するセグメントは八条→京駅→九車のみであるが,操車の関係で対応する出庫系統「南A出」は九車→八条となり,京都駅を経由しないためである。

  • 壬生と九条の共管だった四条線の東行最終が錦林の担当だったり,錦林の牙城だった丸太町線の西行最終が壬生と九条の担当だったりしたが,終電時には(終)の円板を掲出する場合が多かったため,一般乗客はその珍しさに気付かなかった可能性がある。このうち錦林の循環系統に関しては,系統番号に関する情報が無いが,この系統は初電時には運転されなかった。
     同時期(1964年11月)の「初電通過時刻表」に関してはこちら
     伏見線廃止後(1970年4月)の「終車通過時刻表」に関してはこちら

    ◆作者からのお願い: 阪急河原町延伸に伴う系統変更(1963.6.20)以降,1970.3.31までの期間に有効であった臨時系統番号(名)の全貌をご存知の方は,ぜひ情報をご提供ください。
  • (7/12/2016; Rev.11/23/2021)