京都駅前東乗降場

East boarding location at Kyoto Station
京都駅前ループ線は1952年8月1日に休止となり,9月20日には3線式の駅前ターミナルが完成したが,東乗降場の方は,連絡線は建設されたものの塩小路線とは接続されず,長らく複々線状態で放置された。京都駅東乗降場がいつ完成したか,については情報に混乱があるが,その一因は60年度から「交通事業成績調書」(年報)の発行が停止されたことにある。「成績調書」には軌道補修や架線張替等の情報も事細かに羅列されるが,59年度版までの範囲には東乗降場の軌道工事に関する明確な記録は見当たらない。そのため正確な工事経過を辿ることは難しいが,ここでは東乗降場の設置に関して判明した事実をまとめる。 なお60年度以降も「月報」の発行は継続されたが,冊数が多くなる為これを組織的に収蔵する閲覧施設は存在しない。従って「交通事業概要」が年刊化する67年度以前の記録の確認は一般的に難しくなる。


写真1:東乗降場を西から。電車は15乙系統526号と19系統713号,この頃は電照式案内板は未設置だった(69.4)。 写真2:東乗降場の進路選択信号機と信号扱い所。電車は八条特A入系統934号(69.12)。
東乗降場整備に関連する記録を「成績調査」や「月報」から拾うと下表のようである。
58.11.4京都駅前(東詰分)アーケード借地(287m2)借入
(上屋179m2,乗降場97m2,信号所11m2)→国鉄工務課
58.11.21京都駅前東詰南側アーケード新設工事着手
58.12.16京都駅前東扱所 信号配管 竣工
58.12.31京都駅前東詰南側アーケード仮使用開始
59.1.20京都駅前東側市電乗降場上屋竣工(1棟108m2)(完成日1月22日)
59.2.10京都駅前東詰 軌道敷借地(40.2m2)借入れ→国鉄工務課→申請却下
59.2.19京都駅東 軌道転轍機工事方法変更認可申請
58年度(日付無)京都駅前東乗降場軌道模様替 材料費のみ計上,工事未着手
59年度(日付無)東扱所信号装置新設(設計・材料調達のみ)
60.9.7京都駅前東扱所 軌道転轍機工事方法変更竣工←59.2.19申請分
60.9.24京都駅前改良工事完工

60.9.24の工事完工は,「さよなら京都市電」の年譜に依るが,これは北側アーケードを含む乗降場工事全体の完成を指すものと考えられる。西乗降場からの軌道は同年7月頃に接続されたという証言もあるが,東乗降場に関する軌道工事が60年度前半に施工されたことは間違いない。実際の東乗降場の運用開始は60.9.7の信号・ポイント設備の完成直後だった可能性が大きい。

写真3:場内信号機と出発信号機
写真3は,東乗降場場内信号機(左)と東1番線出発信号機(右)である。59.2.10に軌道用地の借地申請をしているが,僅か40m2と狭小であり,これが却下されたことにより2月19日に工事方法の変更を申請し,その内容が60.9.7に竣工したと見ることが出来る。東詰場内信号機下には進路予告灯(1)(2)が付加されているが,その左側に(3)のランプが見える。信号扱所は軌道より先に竣工しているので,却下された借地は幻の東3番線の用地だったのだろうか?

東乗降場が写真1・2の形態だったのは,60年9月から東2番線が撤去された73年初夏までの約12年半になる。70年4月の伏見線廃止後は,東1番線は閉鎖されていたが,稀に貸切電車の乗車用(修学旅行生の待機場所)に使用されることがあった。

図1:1953年都市計画図(部分)図2:1958年度分岐器一覧図(部分)
図1は都市計画上の変更点を茶色で加刷するが,これから京都駅前乗降場が東西併せて従来線より約7m南に整備されることが判る。西乗降場については52.9.20に供用開始されたが,東乗降場については8年近く未施工で放置され,その間は塩小路通上の従来線が引き続き使用された。

図2は58年度の「成績調書」からの抜粋だが,この図には58.12.11竣工の七条烏丸東詰の亘線と,59.2.4付で撤去された塩小路東洞院の亘線の双方が記載されているので,ほぼ59年初頭の状況を表すものと考えてよい。この時点では,東乗降場の軌道は西乗降場と接続されておらず,(図上で囲んで表示される)信号保安装置も設置されていないことが確認できる。


図3:1957年の京都駅前のりばの系統別運用写真4:旧東1番線の535号(1951)
52~60年の8年間に渡って,東乗降場は暫く複々線の様相を呈したが,前頁に掲載したJ.W.Higgins氏撮影の写真でも東のりばは塩小路通上にある。高山礼蔵氏の鉄ピク356「京都市電訣別特集」の記事は,59.1.22を京都駅東のりば完成日とするが,Higgins氏の写真の撮影日59.5.10(日)が正しいならば,高山氏による完成日は誤りということになる。

東乗降場移設後は,駅本屋側の東1番線が伏見線,北側の東2番線が河原町線で運用されたが,それ以前の運用方法は時期によって変化したようだ。のりば案内のページでは,塩小路通上にあった時代について逆に記載しているが,図3(小山徹「京大鉄研雑誌」1957による)が1つの根拠になっている(この図にも誤りはあって,18系統は行先に応じて両方の番線に入ったはずだ)。

需要の大きい河原町線が駅本屋寄りに来るのは,西乗降場の烏丸線同様,理に適ってはいるが,セミクロスシートのパンタ試験車(9系統中書島行)を捉えた写真4(西城浩志蔵,「鉄ピク」2011年12月臨増)は,背後にトロリーポールが見えるので旧東1番線であり,京都駅前整備工事開始以前には,後の東乗降場完成後と同様の運用がされていたようだ。「市電・市バス」1号(54-5)掲載の「電車乗務員座談会」では,北野所属の林氏が,「京都駅前の河原町線-伏見線-北野線等の案内札を立ててもらいたい」と発言されているので,写真に写る「伏見線のりば」の標識は,連絡線の工事に伴ってその後撤去された可能性がある。

図4:1959年度の東アーケード工事計画(「市電・市バス」9号,58-3)写真5:東アーケード完成写真
図4は58年12月31日に仮供用した,東乗降場のアーケードの工事状況を説明している。図には,点線の営業線と実線の予定線が複々線で記載されているが,烏丸塩小路交差点の東詰までは52年に敷設完了していた。また営業線は,かつての烏丸線への亘線のカーブへ入る地点まで残存していたことが判る。なお東降車場予定地ではガソリンスタンドが営業していたが,その立退き交渉も問題だった。

この時の工事対象は,旧伏見線側の南アーケード(108m2)のみである。東乗降場の軌道完工後に塩小路通上の軌道を撤去し,乗降ホームの嵩上げと北側のアーケード(残り71m2)を設置する付帯工事が必要になる。この工事を9月7日の停留場軌道設備竣工から9月24日までの間に施工したと考えても不自然ではない。

写真5は58年度版成績調書に掲載された,当該アーケードの完成写真である。この時点の軌道終端を橙線で表示しているが,実際の「複々線」区間はごく僅かだったことが判る。旧東1番線に600型,旧東2番線に800型が入線しているように見える。1000型が写っていないため,この写真から河原町線を特定することは出来ないが,アーケードは電車利用者の雨宿りには余り役立っていないように見える。いずれにせよ,西乗降場に比べて東乗降場の写真は(晩年を除いて)目にすることが少ないので,実際のところ記録を辿るのが難しい。

(11/20/2021,2/8/2024;Re-ed.5/18/2025)