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Gleanings from Trolley Days

市電に関する小ネタや断片的情報を集めた拾遺集

市バス観光系統

2024年3月21日に6月1日からの市バス運行に関するリリースが出た。22年3月19日に休止された観光系統の復活が目玉だが,旧系統はいつの間にか廃止されたらしく,今回は全て新設扱いである。上図は6月1日からの関連系統,下図は21年1月22日の市会・産業交通水道委員会に提出された会議資料から編集したものだ。1977年4月の急行300系統(京駅-(東七)-動物-銀閣-(烏今)-京駅)を端緒とする観光系統は,92年の「チンチンバス」(臨100系統)として復活し,その後一般車を用いた101系統(京駅-二条城-金閣-北大BT),102系統(錦車-北野-金閣-北大BT)等の新設が続いた。最盛期は100-101-102-103-104-105-106-110-111の9箇系統が「急行バス」として設定されたが,梅小路絡みの103-104系統は下図の時点では廃止済だった。

6月1日からの系統では,100-102は従来と基本的に同じで,前者は五条通経由となる点が異なるが,後者の馬代通経由は維持される。しかし従来の101-111系統に相当する,京都駅から二条城・金閣寺方面への系統は設定されない。また旧105系統の廃止に伴い,京都駅から稲荷へは南5系統のみとなるが,代わって北大路BTから嵐山への109系統が新設される。ただ殆どの系統は各停として運転され,また運転日も土休日に限られるなど,下図(COVID-19前)の状態には回復していない。

旧系統新系統変更後のポイント
100京駅<七条>五坂-岡公-銀閣京駅<烏丸>五坂-岡公-銀閣特急(土休)
101京駅-堀今-金閣-大徳-北大BT京駅<七条>五坂<烏丸>京駅特急:反時計回り(特206D)(土休)
102錦車-北野-金閣-大徳-北大BT左に同じ区間急行:今出川は各停(土休)
105京駅-稲荷-竹田駅(-横大路)京駅<烏丸>河五-三京-岡公-銀閣各停:5系統(五条経由)の短縮(土休)
106京駅<七条>祇園→四河→京駅京駅<七条>東三<川端>祇園各停:臨206系統(毎日)
109北大BT-立命-福王子-釈迦堂-嵐山急行:旧臨59系統(繁忙期のみ)
110梅小路-京駅<七条>祇園-岡公86系統に統合し毎日運転
111京駅-堀今→大徳→金閣→堀今該当なし
今回の改訂ポイントは,高運賃の「特急バス」の東山方面への導入であり,一日乗車券の適用対象とすることで観光客の誘導を図るつもりらしいが,現実には地元客の排除にしかならない。並行する206系統にも観光客の乗車は可能である以上,既存の一般系統の混雑解消には寄与しないことは自明で,206系統を一日乗車券の適用対象外とする等,逆の方策が必要になる。しかし混雑はバスの中だけではなく,東山通の渋滞がバスの回転を悪化させ,運転手不足に拍車を掛けている。四条通の歩道拡幅は批判を浴びたが,東山通の歩道は四条通より遥かに狭く,歩行困難な現状を改善するには歩道拡幅(トランジットモール化)の再検討が必要だろう。さらに今回改訂の100番台系統は,殆どが平日に運行されないが,Overtourism問題の発生は曜日を問わないため,毎日運転への変更も検討されるべきだろう。

同時に,17系統→7系統に,73系統→23系統に改称することが発表されている。後者については,元々23系統は三条京阪<七条通>沓掛で,73系統は四条烏丸<五条通>国道沓掛,という並行系統であった為さほど違和感はないが,前者については7系統は三条京阪-六孫のイメージが強く,市北東部のイメージがない※注。どうせ系統番号を変えるなら,市電時代の2系統を踏襲すれば面白かったと思う。市バス2系統は地下鉄開業で廃止され,その後継であった北2系統も,37系統の経路変更で消滅している。
※注:「六孫」は六孫王神社のことだが,市バス方向幕では「三哲」と並び称される行先だった。後者は個人の号に由来するが,前者は単なる省略形。

ただ日本では,軌道とバスは国交省内の監督部局が異なるため,同じ公共交通でありながら全く別物として扱われて来ており,電車とバスの系統番号は重複するのが一般的だ。San Franciscoは,電車系統はアルファベットでバス系統は数字,大連では電車は200番台でトロバスは100番台と,別体系としている例もある。しかしPhiladelphiaでは,当初バスがアルファベット,電車が数字だったが,軌道廃止後の代替バスが同じ系統番号を名乗ったため,数字系統の殆どがバス運行になっている。GenevaWienでも,電車系統とバス系統には一体の番号が振られている。

同じことはバス事業者間でも言えて,例えば市バスの現行17(京都駅-錦林車庫)と京都バスの17(京都駅-大原)は,京都駅発で四条河原町を通る類似点もあるが,全くの別系統で紛らわしい。さらに昨今の運転手不足で,京都バス・市バスの86系統,JRバス・市バスの快速205系統等,他事業者との共同運行が行われるようになったため,特に京都バスでは自社の系統番号に,市バスの系統番号が混在する形になった。そろそろ京都市でも市内を運行するバス事業者間で,系統番号の共通化が必要だろう。まず京都バス・京阪バス・京阪京都交通・JR西日本バス・阪急バス(「京都市域共通回数券」の初期メンバー)の範囲で始めることが考えられる。(4/13/2024*)


第2期系統番号制

市電系統は,1945年3月26日の全面改正から系統番号制に復帰したが,当時は数字の本系統+漢数字の補助系統の組合せだった。鉄道省は43年11月に運輸通信省鉄道総局に改組され,49年6月に現業部門を日本国有鉄道として分離した為,「日本案内記近畿篇・上」の最終版は,49年2月に運輸省名義で刊行されている。

これには市電系統が左表のように掲載されるが,2系統と4甲系統の終点の交換は46年7月1日であり,2系統は51年3月15日に西大路九条に延長されたので,その間の系統を表している。しかし補一系統の終点は46年7月1日に熊野に延長されていた為,必ずしも正確ではない。また11系統(梅津線)では数字の系統板は無かったが,「西大路四条/梅津間」と書かれた系統板が使われていて,終点を「北広町」と称した事実はないと思われる。

系統板の色に関しては,壬生の赤板,烏丸の白板はひらがな時代と同様だが,九条は「緑板」と明記されている。この時期の系統板は長方形だったので,そのサンプルは下図のように描くことができる。系統板が円板に戻るのは,52年12月1日の系統全面改正の時点とされる。ここで疑問なのは,ひらがな時代に「青板」だった九条の系統板を,短い期間「緑板」に変更し,また「青板」に戻す手間を掛けたのかだ。これについては,鉄ピクの京大鉄研臨増第2号(2011年12月)の須田寛氏の記事「敗戦前後の京都市電」の,ひらがな時代に関する以下の記述から否定される。

「系統円板は烏丸庫が白地に黒文字,壬生庫は赤地,九条庫は緑地に白抜き文字,北野(N電)は白地に赤文字であった。」
従って,下の「ひらがな時代の系統板」で「青板」と表現された九条の系統板は,実は「緑板」だったことはほぼ確実だ。日本語では「青信号」や「青葉」のように,「緑」を「青」と記述する慣習があることの弊害だろう。(4/6/2024)

第1期系統番号制

ひらがな時代の系統板は下記事で概ね判明したが,それ以前の「第1期系統番号制」の時代の系統板については更に情報が少ない。左下は「世界の鉄道'83」掲載の,木屋町御池における12系統(再掲)だが,白地の円板が使用されている。電車は下記事の写真と同じN125号車だが,この時点では"vestibule"が設置されておらず,京電市営化後も乗務員は吹き曝しだった。方向幕は「野北廻東」と読めるので,市営化の1918年7月11日から東廻線と西廻線が分断された26年7月13日までの撮影になる。

12系統は写真の当時,北野~西廻線~烏丸塩小路~東廻線~北野の循環系統だった。下記事にも登場する鉄道省編「日本案内記近畿篇・上」の旧版(1932)には,上表のように系統が紹介されている。その内容を系統図にしたものが右下だが,時期的には31年9月18日の河今-百万間開業以降,同年12月25日の大徳-烏車間開業以前であり,東七-東福間が4系統を称することから,同年10月10日以降の2ヶ月間の系統を表現している。なお上表では2系統が七条烏丸で西~北に転線したように読めるが,実際には京都駅前ループ線に入って折返す運用だった。

ひらがな時代には,循環系統では「あ-い」や「む-め」のように,隣接する文字を逆回りの系統に割当てていた。第1期系統番号制では,循環系統にも単一の数字を割当てたが,反時計回りが白板,時計回りが赤板のように,系統板の色で区別したことが判る。ここでは循環系統となる2-5-6系統以外に,系統図に赤線で示した1-12-17の3箇系統についても赤板が採用されている。これらが基幹系統であったか否かは不明だが,何らかの区別があったのかも知れぬ。

なお左下の12系統は白板になっているが,これは反時計回りの系統であり,逆回りには赤板が用いられたと推察できる。その場合,烏丸塩小路から西廻線で北野へ向かう系統は赤板だったはずで,それが単純な往復系統になっても維持されたのだろうか?(3/17/2024)


ひらがな時代の系統板

壬生 烏丸 九条 北野
戦前1935年から45年の10年間,京都市電系統はひらがなを採用しており,当時の系統板が円形であったことは写真から判っているが,白黒写真では色は判らない。上のリストは,鉄道省編「日本案内記近畿篇・上 改版」(博文館1941年刊)に掲載された京都市電の案内である。ここに掲載されるのは京都駅前発着の13箇系統のみで,以下のように纏められる。1939年7月の系統と基本的に一致するが,(う)系統については北大路経由の誤りである。
京都駅前ループ線烏丸塩小路(東)烏丸塩小路(西)
う-ゑ-き-ち-つ-ねを-く-た-と-も-や
ここには系統板の色が「白板」「赤板」「青板」と明記されている。赤板が壬生所属,青板(伏見線)が九条所属であり※注,北野は「白板赤字」と後年の10系統と同じ色遣いだったようだ。当時烏丸が後の錦林のような白板であったことも判るが,文字色は特に注記がないので黒字と考えるのが自然だろう。

左下の系統図は2016年6月頃Web上で拾ったものだが,どのページだったか出自は不明だ。京都駅以南が欠損しているため,細かい時期の特定は困難だが,37年4月の千今直進軌道敷設以降,38年12月の西七~西八間開業以前の状態を表しており,壬生の(う-ゑ)系統が北大路経由の循環運転である点が上のリストとは異なる。図には系統板の絵が添えられていて,烏丸所属系統は白地に黒字で表現されている。
※注:九条の「青板」だが,実は「緑」が「青」と表現されていたことが判明した為,系統板サンプルの色を変更した。

戦後,銀閣寺操車場は壬生の担当だったが,この系統図から当時は烏丸の所管だったことが判る。(き)系統は,後に行先が高野に変更されたが,高野操車場もまた烏丸の担当だった。この結果,か行の系統は(か-け-こ)が壬生,(き-く)が烏丸,な行は(な-に)が壬生,(ぬ-ね-の)が烏丸と,分割管理されていた。

系統図では,北野の(ろ)系統が薄青~灰色バックになっているが,右中の交通局archiveの写真(恐らくは北野終点のN125号。この写真の主眼は女子車掌の登場にある)は,白板赤字と矛盾しない。右下に当時の系統板(円板)のサンプルを作成してみた。写真を見る限り「縁なし」であり,前部のみに掲出された為,後方からの系統特定は困難だった。(2/29/2024)


安全地帯

安全地帯が拡幅された現在の長崎駅前。エレベータは手前階段の外側に設置。(2023.4)
京都市電の交差点における安全地帯は,交差手前が原則だったが,多くの交差点で1965年頃に交差後に変更された(詳しくはこちらを参照)。交差手前での信号待ち車両の輻輳を緩和する為だろうが,結果的に電車の2面待ちをしなくて良くなった。たとえば河今から百万遍だと,東行が東詰に統合されれば,西詰の1-22系統と南詰の2-12系統の両睨みが不要になる。一方,河今から烏車以西に行く場合は,南詰で5-15系統を待てば済んだのが,北詰の5系統と西詰の15系統の両睨みが必要になったが,こうした例は稀だろう。

例えば河原町線だと,今出川と四条が交差後に変更され,丸太町と七条は交差手前に存置される等,交差点ごとに統一的に行われることが一般的だったが,図の千丸・烏丸のように,南北方向は交差後,東西方向は交差手前と混在した交差点もあった。両交差点とも直進系統のみが運転されたため,一見問題は無いように見えるが,問題は千丸で曲がる初電・終電時の臨20出入庫系統である。終電が東詰と南詰で2重停車になるのは良いとしても,初電については乗降を扱える場所が無いことになる。この壬生5:06発の銀閣寺行に乗った経験は無く,南詰・東詰の何れで扱ったかは定かでないが,京都市電の安全地帯配置におけるほぼ唯一のバグと言える。(正解は千本線の安全地帯を南詰の相対式にすることだろう。)

伏見線は変則軌道だった為,南行は路側乗降になる停留場が多く,さほど危険ではなかったが,北行については路側乗降となる肥後町・丹波橋・棒鼻と,伏見線唯一の安全地帯が設置された十条通を除いて路面マーキングのみで,その危険性が路線廃止の口実とされた。また西大路駅前・西大路九条・京阪国道口の3ヶ所の安全地帯は,横断歩道橋直結の相対式だったが,バリアフリーとは程遠い,自動車優先の時代だった。近年まで同様の構造だった長崎駅前電停には,エレベータが整備されている。(2/17/2024)


京都駅前東乗降場(2)

↑1 ↓3↓4 ↑2           ↓5
京都駅前ループ線は1952年8月1日に休止となり,9月20日には3線式の駅前ターミナルが完成したが,東乗降場の方は,連絡線は建設されたものの塩小路線とは接続されず,長らく複々線状態で放置された。図1(「市電・市バス」9号,58-3)は58年12月31日に仮供用した東乗降場のアーケードに言及しているが,これは後の伏見線側ホーム上屋を指す。60年度から「成績調書」(年報)の発行が停止されたため,詳しい記録を辿ることは難しいが,塩小路線との接続は60年7月,河原町線側上屋を含む工事完成は同年9月とされる。[過去記事]

東乗降場移設後は,駅本屋寄りの東1番線が伏見線,反対側の東2番線が河原町線で運用されたが,それ以前の運用方法は定かではない。本HPでは塩小路通上にあった時代には逆に記載しているが,図2(小山徹「京大鉄研雑誌」1957による)が1つの根拠になっている。(この図にも誤りはあって,18系統は行先に応じて両方の番線に入ったはずだ。)たとえばJ.W.Higginsによる写真3では,連絡線直近の旧東1番線に2系統1000型が入線しているのが確認できる。58年度版成績調書に掲載された,アーケードの完成写真(写真4)では,旧東1番線に600型,旧東2番線に800型が入線しているように見えるが,1000型が写っていれば河原町線が特定できた。

需要の大きい河原町線が駅本屋寄りに来るのは,西乗降場の烏丸線同様,理に適ってはいるが,セミクロスシートのパンタ試験車(9系統中書島行)を捉えた写真5(1951西城浩志蔵,「鉄ピク」2011年12月臨増による)は,背後にトロリーポールが見えるので旧東1番線であり,逆の運用がされていた時期もあるようだ。「市電・市バス」1号(54-5)掲載の「電車乗務員座談会」では,北野所属の林氏が,「京都駅前の河原町線-伏見線-北野線等の案内札を立ててもらいたい」と発言されているので,写真5の「伏見線のりば」の標識は,連絡線の工事に伴ってその後撤去された可能性がある。いずれにせよ,西乗降場に比べて東乗降場の写真は(晩年を除いて)目にすることが少ないので,実際のところ記憶を辿るのが難しい。(2/8/2024)


14系統

5
6
14
22甲系統は平日(当時は月~土)朝夕混雑時のみ運転だったので,比較的見ることが少なかったが,それでも終日運転だった時期もあった為,14系統に比べればマシと言えた。設定期間も1955年1月~72年1月の17年間に及んだが,14系統は52年12月~63年6月の10年半と短かった。普段目にしない系統であるにも拘らず,西京大学前(→府立大学前)の系統通知信号機には(14)が点灯するのが謎だった。その後平日朝夕運転であることを知り,61年頃だと思うが,わざわざ放課後に百万遍まで往復乗車した経験がある。乗ってみれば,何の変哲もない系統だったが,(14)の円板の裏が(白)であることを確認できた。百万遍北詰にはかつて折返し線が存在したが,これは既に撤去済(56年5月)だった。

2021年4月の記事に「66年頃だと思うが,烏丸運輸事務所の横に廃止された(14)系統の横板が並んでいるのを見た」と書いたが,内容は全く記憶に残っていない。それを捏造したのが右の図だが,烏丸車庫以西については15系統の横板と同じにしている。しかし平日朝夕運転系統に急行通過停留場である「金閣寺」を採用したかは疑わしい。ただ急行運転の開始は62年3月で,この横板はそれ以前から使われていたはずだ(この当時烏丸横板の広告主は「かねてつ」が多かったが復元困難)。大徳寺前の系統通知信号機には(14)の設定が無いが,烏丸車庫以西は15甲と一致するため,(15)を通知すれば車庫前の発車順位から区別が付いたはずだ。

運転系統図では系統は単色の線で表記されたが,14系統のみ黄・緑の2色使用だった記憶がある。都電14系統(杉並線)も京都と同じ63年に消えた(12月)が,大阪の14系統(守口~あべの橋)は全廃直前となる68年暮れまで残った。(1/11/2024)


赤バス・青バス

「赤バス・青バス」と聞くと,多項選択モデルのIIA (independence of irrelevant alternatives)特性の例を想起するが,それとは関係無く,各地の路線バスで終車の方向幕を赤ランプで,その1本前の方向幕を緑ランプで照らすことの通称として使われて来た※注。赤バスを逃すと後が無いが,青バスなら待てばもう1本あると安心できる。
※注:信号機の"green light"を「青信号」と呼称するのと同様,日本語では慣用的に「青」の範囲が広い。

画像は22系統の青バス(中書島)だが,LED車になると方向幕を照らすことが不可能な為,幕表示部分を赤色または緑色の点列で囲むことで代用されるが,これには少なくとも3色LEDが必須になる。運転席スイッチでは前者を「終車灯」後者を「終前灯」と呼ぶのが一般的だが,ボンネット時代の京都市バスで「続行灯」と称するスイッチを見た記憶がある。電車の場合「続行灯」は単線区間の続行運転を示すのに使われた(例:下之一色線)ので全く意味が違う。

元は都電の方向幕に起源があるとも言われるが,京都では終電が「終」の円板で示されただけで「青電」は無関係に見えるが誤りだ。表は1953年頃の終電時刻表の5乙系統部分を抜粋したものだが,5乙青前(烏特1へ着発)→5乙青→5乙終の順に記載されていて,少なくとも当時は部内的には「青電」が明確に定義され,それに関しても他系統接続が考慮されていたことが読み取れる。(12/6/2023)