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Gleanings from Trolley Days市電に関する小ネタや断片的情報を集めた拾遺集 |
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| 京都市営軌道撤去夜間作業。全区間開削工法で,24inch, 100lbの鋼工桁を6ft間隔で設置。 | 竣工せる京都地下線坑門。太田社長筆「天人併其功」の扁額と中央柱上の鷲の青銅製鋳物。 |
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| 京阪京都停車場構内交差亘線部。転轍機及び轍叉(8番)はマンガン鋳鋼製。道床は構内西寄り予備的の物は混凝土道床とし,常時使用のものは砕石道床とした。 | 京阪京都停車場本屋,地下室227坪鉄筋混凝土,地階112坪木造,2階26坪木造(食堂) |
左図(「土木建築工事画報」vol.7, no.9, 1931.9)によれば,大宮駅のホーム有効長は467.25ft (=142.42m)だから,阪急の19m車だと7両分になる。このため,86年7月にホームが10両分に延伸されるまでは,8両以上ではドアカットが行われていた。河原町延伸以前は乗降分離が行われており,現1号線が降車ホーム,2号線が乗車ホームとして使われ,当駅に到着した電車は一旦終端側に引上げてから折返した。駅の両側にシーサスが設置されていたが,西院寄りのものは予備で,通常は使われなかった。
地下線(路下部)の建設距離は,1 mi.8 ch.50 link (=1.78km)だったが,大宮~西院間の営業距離は1.4kmなので,実は地下線は駅中心から300mほど先まで建設され,引上線として機能していたことになる。その終端は堀川通付近だったとされるが,当時の地形図には地下線の記載はない。全区間開削工法で施工されたが,覆工板で覆うのは寧ろ例外的だったようだ。無軌条線は32年4月1日の開業だから,地下線工事時にはまだ存在せず,西大路線も四条通の北側で折返していた為,工事には支障しなかった。
「土木建築工事画報」に掲載された写真の一部を転載する。左上は複線軌道の下に工事桁を設置しているが,上記の事情から四条線・大宮~堀川間だと推定できる。右上は完成後のポータルで,扁額と鷲の像は現存するが,全国で銅像が供出される中で,対象から外れたものか?ポータルの延長は19 ch.35 link (=389.3m),軌道中心間隔は14 ft.(=4.27m)で建設された。
左下はシーサスの写真だが,東側E断面付近から駅部を望んだものと思われる。枕木のある普通道床であり,また奥の天井高が高い部分の手前に,軌道を横切る通路の底部らしきものが見える為だ。右下は交差点東北部に建てられた駅本屋の外観で,1968年に現駅舎に改築される以前の状況が見て取れる。屋上の看板には「京阪電車/大阪・神戸・嵐山ゆき」とあるから,阪急に合併される以前から,神戸連絡を重視していたことが判るし,「超特急34分大阪(天神橋)ゆき」は現在より大分速い。なお建築面積の地階はコンコース階を意味するが,1階の面積は欠落している。
日本の鉄道における寸法表記は,30年4月からマイル・チェーン・フィート・インチ表記からメートル法に切り替わったはずだが,京都地下線の設計時点は旧制度で,掲載誌の出版時点ではメートル法という過渡期の事情が見られる。また「混凝土」はコンクリートの漢字表記だが,「混ぜて固まる土」という意味に音を近づけようとした明治の先人の言語センスが光る。混凝土は中国語では,今でも普通に使われる和製漢語になっている。(10/15/2026)
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7号線開通時の車庫前停留場は「上総町」だったが,恐らく車庫名改称と同時に烏丸車庫前に改称され,地下鉄開通(1981.5)に伴って北大路駅前,その後2014年3月に烏丸北大路に改称され現在に至る。7号線の終点は「植物園前」だったが,北大路線の東進に伴い北大路橋西詰を経て1941年に廃止されている。車庫内配線は29年版には留置線7本と庫内線8本,35年版には留置線5本と庫内線7本が描かれている。この種の市街図における敷地内詳細の信頼性は高くないが,戦後の配線図では,留置線7本,庫内線7本と,概ね同等の設備になっている。なお給水線(?)も単線から複線に変更され,取付方向も西向に反転しているが,37年8月の電気局運輸部庁舎(後の関西電力営業所)建設に際して廃止されている。(9/18/2026)
歴彩館の行政文書では,「小山車庫」で以下の3件が検索される。それによると,1927年4月に給水線の新設,28年5月に車庫内の配線変更が行われたらしいことが解るが,この時点では小山車庫の呼称が用いられており,当時道路の散水は,警察(交通管理者)の所管だったらしいことが判る。給水線は37年5月に撤去されているが,その時点では車庫名称は烏丸車庫に変更されていた筈だが,敢えて敷設時の名称を用いたものか?(10/3/2026)
| 簿冊番号 | 簿冊名 | 作成課 | 年度 | 件名番号 | 件名 | 年月日 | 西暦 | 差出人/作成者 | 宛先 | 内容 | データID |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 昭03-0154-001 | 軌道 | 道路課 | 昭和03年度 | 013 | 京都市営電気軌道小山車庫工事方法変更 工事竣功検査報告書 | 昭和3.5.26 | 19280526 | 原田道路技師外1名 | 知事 | 4月16日付認可 5月8日竣工届出 | 0000363651 |
| 昭04-0096-001 | 軌道 | 道路課 | 昭和04年度 | 001-2 | 京都市営電気軌道小山車庫構内給水引込線 敷設工事竣工検査復命書 | 昭和2.5.12 | 19270512 | 警察技手 中村留三郎外2名 | 知事 | 4月2日竣成届 大正15年9月8日認可 | 0000364202 |
| 昭12-0143-001 | 軌道 | 監理課 | 昭和12年度 | 018 | 京都市営軌道小山車庫内引込線撤去 竣功検査復命書 | 昭和12.5.8 | 19370508 | 土木技手 佐伯武男,中村恵亮 | 知事 | 0000426762 |
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愛宕山鉄道は京都電灯と京阪電鉄の共同出資だったが,どちらかと言えば京阪色が強く,車両は新京阪線の余剰車で開業し,廃止後一部は石坂線に転属した。現・嵐山駅との対応だと,旧3番線を潰してホームを拡幅し,旧2番線を1番線,旧4番線を2番線とし,旧5番線を3番線に改称したように見える。隣駅は「停車場前」と記載されているが,その後「嵯峨駅前」を経て「嵐電嵯峨」となる。なお北野線開業以前は,現・帷子ノ辻付近から嵯峨野(現・有栖川)駅間は,三条通上の併用軌道になっていた。
愛宕山鉄道の廃線跡には,1970年4月に府道29号新道が開通した。高架道路が地平に下りた先,釈迦堂前駅付近の35年図を下右に示すが,愛宕山鉄道の車庫が駅北側に設置されていたことが判る。また下左図は同時期の新京阪・嵐山駅付近を示すが,当時は嵐山線は全線複線であり,終点は5面4線の大駅だった。現在は南西側の3面2線のみ使用され,北東側の2面は廃止されている。(8/24/2026)
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右はGeneva TPGのトロリーバス用信号灯火であり,分岐部の吊架線から(×→)信号がぶら下がっている。場所はCornavin駅南方のServette通とCoutance通の交差点付近で,10-19系統が右折し,6系統が直進する。このため右折が定位になっていて(→)は常時点灯する。(×)と(→)の同時点灯は奇妙に見えるが,(×)は停止ではなく分岐が反位になっていることを示し,次にこの地点へは6系統がやって来ることが解る。(8/2/2026)
「コモンキャリア」なる語は交通・通信の分野で用いられるが,前者の場合「公共交通」の要件とされ,①運送を依頼されたら理由なく断ってはならない,②依頼者によって不当な差別をしない,③合理的な運賃で安全に輸送することが義務付けられている。近年,路線バス廃止に伴う代替交通として,デマンドタクシー等の導入が一般化しているが,利用者が住民に限られ,事前登録が必要とされる時点で公共交通から外れる。京都市の非市民に対する差別運賃も,②の原則に反するため公共交通の役割を放棄するに等しい。
マイナンバーカードを交通系ICカードと紐付けることが想定されているが,指摘されるように問題が多すぎる。京都市へ通勤・通学する非市民に高い運賃を課すことは差別的であり,通勤・通学定期券に市民価格を適用することで回避できる問題でもない。例えばリモートワークの普及で,以前に比べて通勤頻度が下がる場合も多いため,頻度だけでは判断できない。また京都市内の医療機関に通院する場合や,定期的に市内の実家に遠距離介護に赴く場合も,非市民料金の適用は不合理だが,高頻度の乗車は期待できない。大津や枚方から京都市内に通院する人も珍しくないから,割引を紐づける範囲を,京都府全域に広げたところで解決しない。
小児運賃や障碍者運賃も一種の差別運賃だが,この場合は居住地と関係なく利用者個人の属性で適用されるため問題にならない。高齢者運賃に関しては,日本では自治体による囲い込みが一般的だが,本来居住地による差別をすべきではなく,合衆国法典Title 49では,連邦補助金が投入される交通機関に対し,居住地と関係なく割引運賃(半額以下だが無料ではない)の適用を要求している。公共交通機関に補助金等の形で国費が投入されていれば,国内居住者全員が何らかの負担をしていることになる為である(地下鉄はこれに該当するから差別運賃はあり得ない)。従ってマイナカード連携を行うならば,居住地と無関係にマイナカードの有無だけで識別すべきだろう(正規の外国人居住者にはマイナカードが交付される)。
手続き的には上限運賃を大幅に上げる認可を受け,その範囲内でマイナカードによる実施運賃を定めることになるが,民営バスとの調整路線にも同様の認可申請を強要することには問題がある。インバウンド客の場合,特に大型荷物のバスへの持込みが問題視される為,荷物料金の徴収には合理性がある。京都市民も海外旅行の際にスーツケースを持ち込むことはあり得るが,年数回の頻度なら負担は納得できよう。しかし前乗り(先払い)に変更しても,運転手が荷物料金の徴収を担うことの技術的問題は解消できない。これに関しては,比較的高額の大型荷物持込み証をコンビニ等で発売し,その提示が無い場合は持込みを拒否する形での実装は可能だろう。
国内自治体では宿泊税の導入が流行している。出国税も含めて,外国人(非居住者)を区別することの社会的コストを考えれば一律負担もやむを得ない。後者については,ビザ交付手数料やJESTA導入時の手数料で代替可能だが,法務省が適切な財源移譲のルールを運用できるかは疑問だ。前者については,宿泊料金によって差を付けることも可能だが,民泊問題に見るように,インバウンド客が全員Luxury Hotelsに泊まる訳ではない。従って観光客の識別という意味では,かつて仏教会の猛反発で中止された「古都保存協力税」に類する観光施設側での徴収について,宗教活動を阻害しない形の妥協点を探ることが望まれる(たとえば檀家の墓参等の明確な宗教活動の除外)。
観光客識別目的では廿日市市の「宮島訪問税」の形態は合理性を持つ。宮島が独立した領域で,入域経路がほぼフェリーに限定されるため徴収は容易だが,この場合も宮島居住者と宮島への通勤・通学者,修学旅行生は課税対象から除外されている。京都市の場合は,入域方法が鉄道だけでもJR東海・JR西日本・阪急・京阪・近鉄と多岐に渡り,京都を目的地としない乗換え需要もあるため,入域交通機関の運賃に上乗せする形での徴収は不可能である(写真は入島税が徴収される宮島桟橋ターミナル)。バス運賃の差別的値上げは,かつて「マイカー観光拒否宣言」を通じて,電車・バスによる観光を奨励していたこととも矛盾する。結局,マイカー・タクシー・ライドシェアなどへの転換を通じて,道路混雑を助長し,バスの運行効率を下げることに通じるから,当面の政策としては悪手と言わざるを得ない。(7/21/2026)
3桁臨時系統は,成績調書(年報)等に記載される運転記録から採取できるものの,全貌は明らかでない。一方,2021年に開催された京都市歴史資料館の特別展「こんにちは京都市電-京都市電関係資料をひもとく」で展示された「電車臨時運転系統図」は,全臨時系統を記載したものと考えられる。当該系統図が有効だった期間は,1954年3月1日の白川線開通から55年1月15日の錦林車庫開設前日までの約10ヶ月に限られるが,55年8月24日まで運転された叡電乗入れ系統が見られる点は特徴的だ。この時期は臨時系統が2桁から3桁に移行する過渡期のように見えるが,56年10月12日の下鴨線開業に合わせて,臨時系統の大幅変更が行われた由なので,その際に系統番号が3桁に統一されたと推察される。左の系統図は見難いので,図に描かれた系統の経路を表にまとめる。10の位の1は壬生,2は錦林操車場,5-6は烏丸,7-9は九条になっており,錦林の22系統や九条の72系統のように,そのまま100を加えた3桁系統に移行した系統も散見される。ただ九条の91系統や北野の101系統は,それ以前には臨9や臨10系統と称していたし,宝ヶ池乗入れの110系統は臨1系統だったという風に,臨時系統の桁数は時代と共に増えて来た経緯がある。54年時点でも,11-12-14-15-16系統は正規の系統として別に存在したから,2桁系統については「臨」を付して区別する必要があった。(7/1/2026)
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市電営業線で最後に挿入された亘線は,塩小路高倉の南~東間だった。左は当該工事に関する京都新聞の記事(1963.3.8付)で,DRFC-OB会の掲示板に紹介されていたものだ。18系統の京都駅スイッチバックを解消する為の工事で,1ヶ月後の4/20付で供用が開始された。当時18系統は73往復が運転されていた旨の記載があるが,67年時点では44往復に減便されていて,18系統が京都駅に寄らなくなったことが,乗客減を招いた可能性がある。新設亘線の南行は歩道際に設置される等,余裕の無い設計だったが,僅か7年弱で廃止になった。
右は56年発行の「市電・市バス」7号掲載の,河原町今出川交差点に下鴨線への直進軌道を挿入する工事風景である。今出川線との「ダイヤモンドクロッシング」は設置済みだが,掘削区間の手前に見える5系統の南行と2系統の北行の曲線軌道については,交差部分はまだ手付かずになっている。まだ自動車も少なかった時代だが,活線への分岐挿入は現在では一層大変な工事になる。(6/15/2026)
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| ca.1950's, David Cope© | 1978, Mitch Libby© |
赤斜線表示は本則と違う系統であることへの注意喚起で,その場合には行先を確認すればよいので合理的と言える。しかしKawasaki 9000型の方向幕では
のように,細かい文字での表示になった為,見易くはなかった。現行のLED表示だと細かい文字の表示は不可能だが,その代り複数の表示を交互に示すことが可能になる。
映像はSubway-Surfaceの地下区間が工事等で使用不能な場合に,40-Marketで地下鉄に接続するための代替ルートを走るKawasaki車で,当時の34-13-11-36系統が"ROUTE DETOURED"を表示するのが見られる。なお当該系統は,2025年2月からT2-T3-T4-T5系統に改称された。
京都市バスでは短縮系統に「入庫」を使う場合があった。本当に入庫する系統もあったが,206B系統(東山通往復)の南行が
を表示するのは奇異に感じた。京都の場合,漢字による記載も不適切なので,直感的な短縮系統表示が望まれる(系統幕は「市バスの系統を探る」から借用)。(5/19/2026)