Gleanings from Trolley Days市電に関する小ネタや断片的情報を集めた拾遺集 |
北野線開通当初,鳥居のすぐ横に待機する京電の写真が残るが,当時は北野天満宮の境内が下の森まで拡がっていた。後年にも似た構図の写真があるが,12年5月の延伸後の終点に,21年10月になって一の鳥居が移設された結果である。10号線の紙屋川開通(57.4.3)に際して北野線は短縮されたが,折返し亘線は2月12日付で南詰に移設されている。さらに同年12月21日付で,三哲(木津屋橋通)にあった亘線が撤去されている。狭軌線の北野出張所は28年1月10日に,それまでの三哲出張所に代って開設されたが,車庫廃止後もいつまでかは不明だが,留置線が1線のみ残されていた(右写真参照)。三哲の亘線の配置は南口操車場と相似であり,京都駅への配車に即応可能だった。北野車庫自体は,終点側に複線の出入庫線,起点側に単線の出庫線を有するだけで,車庫前に亘線は無かったが,狭軌線の亘線は千本中立売・堀川丸太町・四条西洞院と比較的多かった。このうち定期運用があったのは四条西洞院のみと考えられる。
三哲には京電の本社・車庫が東洞院から移転して来ており,18年7月の買収時に市が引き継いだが,右写真(交通局Archive)の建物は京電由来のものと思われる。28年1月の市電車庫廃止後,同年5月10日に最初の市バス車庫として三哲車庫が開設されている。敷地が狭いためか,三哲の市バス車庫は不安定で,42年4月に廃止,51年4月に再開,54年12月に廃止,70年4月に3度目の開設,77年10月に九条の支所に格下げされ,83年11月に支所としても廃止されるという経緯を辿っている。しかし用地を下京区役所に提供しつつ,86年4月から京都駅直近の操車場として現役で運用されている。
(9/8/2024)
かつてMarketの地下鉄はSchuylkill川を鉄橋で渡った。中2線が地下鉄の1581mm複々線だが,まだ第3軌条は敷設されていない。 | Mt.Washington Transit Tunnelを抜けてSouth Hills Jct.に到着するSiemens製連接車4237号。駅は4面4線だが,手前の2線は使用中止。(2019.11) |
Island Ave.のセンターリザベーション(1581mm)を走る川崎製片運車9096号。 | West Chester/Ardmore線(1588mm, 58/66年廃止)跡に留置される両運車110号他。(1993.4) |
上段左に地下鉄開業前の23 St.Portalの写真(A.W.Maginnis Collection),右に現在のPittsburgh LRTを示すが,軌間の7mm差は目視では殆ど識別できない。SEPTAでは1981年導入の川崎製LRVが市内線(Subway-Surface線;T線と総称)と郊外線(Media-Sharon Hill線;D線と総称)で運用されるが,後者はPhila.& West Chester Traction Co.による路線で,Penna.ゲージが採用される。川崎製LRVは,2027年以降にAlstom製低床車に置換えられる計画だが,市内線用の9000型(中段左),郊外線用の100型(中段右)とも,フランジ間の距離は共通という説もある。
旧国鉄在来線の軌間整備基準値は,+10~-5mm(軌道検測車による数値)であったが,軌間1067mmにおける10mmは0.94%に当り,1581mm軌間では14.8mmに相当する。特に狭い軌間の車両が広い軌間に入る場合の問題は小さいから,1581mmと1588mmは保線精度の範囲内と言える。Russiaは5'(1524mm)軌間を採用していたが,Soviet時代の1960年代に1520mmに変更した。これも誤差範囲であるため,新規路線について厳密に適用するとしても,既存設備を急いで改変する必要は無いし,事実隣国のFinlandは1524mm軌間を維持している。
下段はGoogle MapによるSEPTAの69 St.Terminalの衛星画像である。①地下鉄Market-Frankford線(1581mm, 第3軌条700V),②Media-Sharon Hill線(1588mm, 600V),③Norristown高速線(1435mm, 第3軌条630V)の3線が集まるPhila.西部の交通の要衝である。(Mouse-on)では②を橙色,③を水色で区別しているが,複線や側線は記載を簡略化している。標準軌の③は,Phila.& Western鉄道によって07年に開業したが,4面3線の頭端式ターミナルに発着し,①②とは独立している。戦前には,このターミナルにトロリーポールと集電靴を装備したLehigh Valley Transitの路面電車が乗入れて来た。①と②は何れも到着側1面1線と出発側1面2線がループ線で接続する形態だが,北側の車両基地内では双方の軌道は独立しておらず,やはり軌間の差は決定的でないことが解る。画像では架線は見えないが,地下鉄が600V→700Vに昇圧したのは2017年頃であり,基地内電圧を600Vに共通化しても問題は生じない。(8/27/2024)
竹田久保町の北側から城南宮道付近までの旧竹田街道と異なり,勧進橋~竹田久保町間の旧道は現道と近接していたが,痕跡は残っていない。05年開業の稲荷支線が分岐する勧進橋電停も,路線廃止時より西に位置した。また勧進橋と水鶏橋の間にも橋が存在し,勧進橋の次の停留場はこの橋の呼称と思しき「高橋」だった。10年に京阪線が開業したが,現在の伏見稲荷駅は「稲荷新道」であり,龍谷大前深草駅が「稲荷」を名乗ったことが判る。
七瀬川町付近の旧竹田街道。この幅員に複線敷設は不可能だから,複線化は新道移設時と考えるのが順当。かなたに近鉄高架線の架線柱トラスが見える。用地買収をせずにクリアランスが確保できるため,京電の路線は水路沿いに敷設される場合が多かった。(ca.1970.11)
二条城と二条駅を結んだ城南線。千本線の市電敷設と支障するため,12年5月30日に御池通に移設されたが,御池線は複線だった記録が残る。数年後に移設が決まっていた押小路経由の路線をわざわざ複線化するとは考え難いので,この区間に関しても移設と同時に複線化されたと考えるのが順当だろう。陸地測量部2万分の1図でも,堀川線と押小路線には異なる地図記号が使われ,単複を描き分けたように見える。押小路に市電が復活することは無かったが,今は地下鉄東西線が走る。(8/10/2024)
京都電気鉄道は単線で開業し,市内随所に交換設備を設けたことは知られているが,最後まで単線で残った出町線を除いて,交換設備の位置は断片的にしか分らない。
「市営電気事業沿革史」(1933)には「明治41(1908)年藤本清兵衛氏社長となるに及びて木屋町線・西洞院線・堀川線・北野線・伏見線の複線敷設を断行し,大いに業績の進展を見,43(1910)年3月藤本氏社長の任を退くや古川為三郎氏社長に就任せるも僅か4ヶ月にして辞職し,其の後を受けて大澤善助氏同年9月社長となるや増資を断行して…寺町-丸太町-下立売線・鴨東線
を複線とせり。茲に於て出町線を除く外全部複線となり,市内の交通を独占せるが故に…社運益々隆盛に向へり。」とある。 京電の開業当初のターミナルは塩小路東洞院であり,東洞院以西の塩小路線は存在しなかった。上では1908年以降に複線化された路線に西洞院線が含まれるが,この区間の開業は04年12月と比較的遅く,最初から複線で開業したとの説もあるが,少なくとも塩小路部分(東洞院~三哲間)については複線開業の可能性が高い。東廻線のうち上珠数屋町・間之町経由の区間は,01年1月に新寺町経由に付け替えられているが,同年8月に高倉線が開業し,七条高倉~塩小路東洞院間は単線並列で複線化済だった為である。なお塩小路線の高倉~東洞院間の伏見線との単線並列による複線化は,01年4月の竣工と考えられる。 左図は,路線別の複線化時期をまとめている。黒は当初から複線開業と見なせる区間,青は1908年以降の複線化,緑は10年9月以降の複線化とされる区間を示す。北野線・伏見線・鴨東線の末端区間(下之森~北野,京橋~中書島,南禅寺~蹴上)は遅れて開業したが,このうち前2者は当初から複線開業だったと考えられる。伏見線は08年以降の複線化に含まれるが,竹田街道の新道(勧進橋架替えを含む)が開通したのが11年,その翌年に京電は東高瀬川沿いの旧線から新道に移設されているので,この区間の複線化は新道への移設と同時に実施されたと考えるのが順当だろう。城南線については,市電開業に伴い12年5月に押小路から御池通に移設されているが,押小路線に関しては複線化の記載はない。(8/4/2024) |
今出川延長線(10号線)のうち,千本今出川~北野紙屋川町間は第1期として,1957年4月3日に竣工したが,問題は第2期の「北野線軌道共用等に関する協定」に関わる区間であり,線路共用を排除するためには京福電鉄の一部営業廃止及びこれに伴う減益補償が必要となる。これについては,同年12月6日に協議がまとまり,市会及び取締役会の承認を得た。その内容は以下の通りである。
(1) 会社は白梅町・北野間の運輸営業並びに終点北野駅を廃止する。(2) 会社は廃線跡軌道用地のうち,10号線用地として414坪を市に譲渡する。(3) 市は会社に白梅町終点駅の新設,用地の譲渡及び営業廃止に対する補償として5千万円を支払う。(4)「北野線軌道共用等に関する協定」は廃止する。従って,当初は市電が嵐電に乗入れることが想定されていたようだが,実現することはなく,58年7月16日の京福電鉄・白梅町~北野間の営業休止を待って着工し,9月13日には北野紙屋川町折返し部分の仮設工事が完成,16日11時から開通式を挙行し,式後に亘線を撤去して東行線を接続し,13時より一般営業を開始したとある。(「交通事業成績調書(S.33年度)」による。)
上写真は北野紙屋川町折返しの20系統600型と休止直前の嵐電北野駅。3面3線で後の北野白梅町駅より規模が大きかった。下写真は開通式でテープカットをする当時の高山義三市長※注1)。電車は同年3月烏丸に新製配置された702号で,(試)の円板を掲出している※注2)。この時点には西行の軌道のみが接続され,東行は運転できない状況だったので,まさにぶっつけ本番の試運転電車で開通式をやったのだろうか。(7/8/2024)
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大半は京都駅前を関電ビルディング(当時は米軍専用のラクヨウホテル)から撮影した映像で,循環線に入る600型や200/300型が捉えられている。京都駅は2代目駅舎で,0:29からは建屋左側に高倉跨線橋から続く築堤を下る市電が覗く。0:48からは東乗り場の映像だが,東1番線に伏見線の広軌I型が発着し,2番線には河原町線の200/300型が満員の乗客を乗せて出発する様子が捉えられている。この状況を見れば,やはり河原町線を東1番線に割当てるのが正解だろう。200/300型は濃淡茶色塗装だが,広軌I型は青電塗装になっているので,在来車の塗色変更は通説の49年以前から始まっていたらしいことが判る。当時は複架線で,伏見線乗り場に到着した広軌I型1号(?)の豪快なポール回しが見られる。注目すべきは,運転手の手ブレーキ操作中に地上係員のポール回しが始まっている点で,ブレーキに電気が必要ないことが良く解る。
1:36からはセンターポールだった四条線の東方向を,大丸百貨店から捉えた映像になる。高島屋四条店の開店は46年12月で,4階建のビルになったのが50年なので,東方向に大きな建物は無く,京都住友ビル(1938)と現存するVories建築である東華菜館(1926)が目立つ程度だ。(7/1/2024)
例えば,留置線入庫(ル)と折返し(返)があったとして,残りが1灯しかない。京都駅折返し時に9→19,19→9の系統変更はあったが,乗務交代が伴うため敢えて指示を出す必要はない。9-19⇔18の系統変更は無かったはずなので,どういう運用だったか見当が付かない。
左の写真は,なまちゃん様による1969年8月のもの,右の写真は奈良の青木様にご提供頂いた70年3月のものだが,問題の信号機を拡大しても現示内容は判読不能だ。この信号機の現示内容をご存知の方は,掲示板にて御教示頂きたい。(6/20/2024)
出 庫 | 入 庫 | |||
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八条A | 九車-八条口 | 八条特A | 八条口-京駅-九車 | |
八条B | 九車-中島-八条口 | 八条特B | 八条口-京駅-中島-九車 | |
八条C | 九車-稲荷-八条口 | 八条特C | 八条口-京駅-稲荷-九車 | |
八条D | (出→)九車-西九-円町-銀閣-京駅-八条口(←入) |
表には,八条口の出入庫系統を整理している。操車場への送込み/返却系統(営業運転する為「回送」ではない)は,「操車場名+アルファベット+出庫/入庫」という付番ルールであり,かなりの迂回経路を辿るものも多かった(⇒例えば錦林操車場の例)。A/B系統は南口操車場の時代から記録があり,C系統についても多分正しい。八条口に関して,上記の丸太町を経由する系統以外の出入庫系統は思い当たらないので,D系統が振られたと考えるのが順当だろう。なおB/Cの入庫系統は,京都駅前を経由するため出庫時とは別経路になって「特」が付くが,A系統に関しては待機車両の直接入庫(=八条A入庫)の存在も否定できない。また八条口留置となる八条口-京駅-八条口の運行も存在したが,その系統記号は不明である。(九車に入庫しない為,上表の付番ルールは適用できない。)
右写真は京都駅前東のりばの場内信号機と1番線出発信号機(再掲)である。後者には(2)と(2入)というランプが付いているが,そもそも東1番線で(2)が何を意味するか不明だし,八条口留置(他車庫の「ル」に相当)や九条への入庫を表すとしても,系統指令自体は八条口出発時に行われる為,当所で改めて指示を出す意味が解らない(実際点灯しているのを見た記憶もない)。なお2番線側の出発信号機には(合)のランプが付いていたが,これは烏丸車庫前西詰と同様,車掌に出発の合図を送る指示だったので,ワンマン化で殆ど無意味になった。
※終電時の278系統に関する過去記事の内容を,上記考察に基づいて修正している。なお伏見線廃止以前の278系統/八条D出入系統に関する記述は,全て憶測に基づくものなので,正解をご存知の方は掲示板でご教示願いたい。(6/2/2024)