変 電 所

Traction Substations

創業当時の「京都市電氣軌道姉小路變電所」(石井行昌氏)1972年頃の鞍馬口変電所建屋と烏丸通を北へ向かう1800型

京都市電創業時の変電所は姉小路1ヶ所であったが,現在でも敷地の一部が地下鉄の総合指令所として利用されている。その後,路線拡張と共に増設され,最盛期には以下に示す11ヶ所の変電所が存在した。(太字は路線全廃まで運用された変電所)

変電所運用期間所在地設備容量(kW)跡地
姉小路1912.6.5-1976.9.15中京区姉小路通東洞院西入車屋町2463000(2000)地下鉄総合指令所他
鞍馬口1924.12.26-1978.9.30北区小山下総町5-21500部落解放センター
東九条1925.5.12-1978.9.30南区東九条西山王町27-11750アバンティ
田中1929.5.3-1977.9.30左京区田中飛鳥井町81000(500)児童公園
西ノ京1930.6.16-1972.3.5中京区西ノ京上平町21500(1000)集合住宅
京極1935.9.21-1977.9.30下京区西七条掛越町65600(300)獣医畜産会館
衣笠1938.3.28-1978.9.30北区衣笠東御所ノ内町431000上下水道局営業所→集合住宅
三条1940.9.11-1971.1.13左京区東大路仁王門北門前町489600(300)テナントビル
七条1941.10.4-1972.3.5東山区南門通大和大路東入本瓦町672600(300)文具店/関電変電所
竹田1947.11.1-1970.3.31伏見区深草加賀屋敷町5-1600(300)市営住宅等
梅津1959.10.21-1969.9.30右京区西院笠目町9500京都外大講堂
Notes: (1) 全廃時まで運用された3ヶ所については廃止時の設備容量,梅津については新設時の設備容量,それ以外については1959.3.31時点の設備容量(予備機を含む)と,括弧内に認可出力を示す。
(2) 戦後の866-900-700-2000型の各形式の電動機は60HP(45kW)×2であったため,出力300kW程度だと単純計算で,給電範囲内で4両が同時加速すると容量オーバーに陥る。従って後に増強されたはずだが,それでも「低電圧警報ブザー」がしばしば鳴動した。
各変電所の給電範囲は路線の消長と共に変更されたが,下図に市電最盛期(1958年度末時点)における変電所の饋電位置と凡その給電範囲を示す。複数の変電所から給電される線区が集まる交差点については,交差点への給電を担当する変電所を●印の色で表示している。2色が並列する線区は2箇所の変電所の共管であり,共管区間内の交差点に●印が無い場合は,交差点への給電も共管であったことを示す。(この時点では,西北大路線と西丸太町線はラッシュ時間帯のみ共管とされた。)



各給電区間には,線区名とは別に名称が付されていた。下図は1957年度の区分を示し,架線柱の番号標記も「西今出川線三十号」のように,基本的にはこの区分に準じていたと考えられるが,たとえば1952年時点では,大石橋から勧進橋を経て稲荷までが上伏見線区間に含まれていた形跡もあり,厳密に一致していたとは考えにくい。 (たとえばこちらのページの丹波橋電停の電柱の標記は,上が欠けているが「(下伏)見線二一六號」と読める。)


(4/5/15; Rev. 4/19/15)