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Gleanings from Trolley Days

市電に関する小ネタや断片的情報を集めた拾遺集

系統の韻

10番台系統旧補助系統運転区間本系統運転区間
12補三天王町-西大路四条2天王町-西大路九条
14補五烏丸車庫-西大路四条4京都駅-烏丸車庫<西大路>京都駅
15補六四条河原町-烏丸車庫-四条大宮5京都駅-烏丸車庫-九条大宮
16補七四条烏丸-烏丸車庫-くまの6京都駅-烏丸車庫<東山>京都駅
17補八九条車庫-四条大宮-ぎおん7九条車庫-ぎおん-九条車庫
19補九京都駅-いなり9京都駅-中書島
1952年12月に従来の補助系統が数字に変更された時,殆どの10番台系統は本系統の短縮系統として定義された。このうち15系統は旧補六系統の延長系統であり,19系統は9系統から1区間はみ出すが,事実上伏見線北部の輸送段差に対応するものと言える。補助系統と本系統で1の位が揃ったのは補一と補九だけで,他は本系統+1になっていたのは,誤乗防止だろうか?11系統と13系統は補助系統を引き継がなかったが,市電系統が1の位で「韻を踏む」(=1の位が同じ系統は類似系統になる)のはある意味当然だろう。



1の位関連系統
111:三条京阪-嵐山,51:三条京阪-帷子ノ辻
262:四条烏丸-八瀬・大原,72:四条烏丸-岩倉実相院
323:三条京阪-沓掛,33:三条京阪-三ノ宮,63:三条京阪-灰方
44:三哲-深泥池,14:三哲-松ヶ崎,34:三哲-野々神町
55:三哲-修学院道,35:三哲-北白川別当町,45:三哲-蹴上
66:上賀茂神社-二ノ橋,16:上賀茂神社-藤ノ森神社,46:上賀茂神社-国立病院
88:三条京阪-高雄,48:三条京阪-小野郷
828:三哲-嵐山・大覚寺,38:三哲-嵐山
市バス系統についても,かつては短縮系統や分岐系統で1の位を揃える傾向が見られた。左表は1965年頃の「韻を踏んだ」系統を拾ったものだが,正確には72系統設定前に35系統が廃止されていたりした為,これらの系統が全て同時に存在した訳では無い。ともあれ60年代半ばには,1の位が方向を示唆する傾向が見られ,定期券の系統選択に際して,単一系統として扱われる組合せも多かった。他に類似系統が続き番になる場合も多かったが,これには四条烏丸から中書島・淀へ向かう19-20系統,四条車庫から修学院道(岩倉)へ向かう30-31系統,四条車庫から山科方面へ向かう39-40-41系統,三条京阪から東土川へ向かう42-43系統,伏見線廃止代替の81-82-83系統等の例がある。

四条河原町河原町二条
下鴨148246
今出川149247
市電3桁系統では,一部の例外を除いて100番台と200番台は独立に付番されている。たとえば左の5乙-15乙の短縮系統では,山鉾巡行時の河原町二条折返し系統の末尾2桁は通常の四条河原町折返しとは揃わない。そもそも200番台の系統に関しては情報が限られているため,筆者が知らぬだけかも知れない。(8/5/2022)


京阪大津線の床面高さ

804号703号
こちらに京阪線・京津線・石坂線の車両サイズについて記載しているが,現有車両の床面高さは京津線が900mm,石坂線が1,050mmと15cmの差がある。しかし車両中心からの車幅は前者が1,220mm,後者が1,190mmと差は3cmに留まる。写真はびわこ浜大津駅2番線に停車中の京津線800系と石坂線700形の開扉状況である。ホームは京津線規格で作られているため,700形は床面が少し高い位置に来ると共に,ホームと車両との隙間が僅かに広いことが分る。一般に車両の床面がホームより高いことは許容されるが,段差が25cmを超えるのは不適当とされる。

京津線20型の床面高さは不明だが,同じ各停用だった80型は910mmと,800系と同程度だった。もしここに市電500型(床面高さ800mm)が入線するならば,ホームより10cm下がる形になる。床面がホームより低くなる例はほぼ無いので,その際はホーム高さを低い方に合わせればよいが,その場合現有の石坂線車両との段差が25cmとなり,やや過大になる。市電500型の車幅は2,388mmと,石坂線車両とほぼ同規格だったから,ホーム共用に問題は生じない。かつて京津線60型は京阪線と直通運転をしていたが,60型の車幅は2,356mmと少し狭い。戦前の京阪線の車両限界は2,590mmだったため,京阪線内でのギャップは12cm弱あったことになる。(7/16/2022)

[参考]バリアフリー整備ガイドライン」(国土交通省), pp.196-197.


京津線との連絡運輸

叡電と並んで京津線との間でも,大戦末期から終戦後に掛けて連絡運輸が実施されたことはよく知られている。こちらはし尿輸送で,1945年4月5日から翌46年8月末まで,市電540号と京津線28号(29号)を利用して,蹴上線の疎水端に設置された貨物ホームと石坂線粟津間で実施された。蹴上線は45年2月1日に休止され,資材は梅津線に転用されたことになっているが,実際には東行の軌道は当面残されていた。都市計画図によれば,東山仁王門には元々デルタ線が敷設されていたが,左図のように分岐は1箇所だけ残されたようだ。また東山三条(京津線は古川町)には,北西側に単線の亘り線が設置された。当時540号は烏丸所属だったので,北から来て東山三条で折返し蹴上線に入ったことになる。積載後は北行線を逆走し,京津線に入って折返したと考えられる。帰途は空桶を戻す必要があるが,京阪側には折返しが無いので,三条大橋まで行って折返して再度蹴上線に入ったことになる。貨物輸送の終了に伴い,仁王門通の貨物ホームは49年7月30日,東山三条の亘り線は52年3月31日付で夫々撤去されている(この項「関西の鉄道」38号,1999による)。
(7/10/2022)


北大路線と240系統

烏丸線が今出川から北進して北大路橋西詰に達したのは1923年10月,北大路線が大徳寺前から東進して烏丸通に達したのは31年の暮れだったが,それから長期に渡って北大路通を烏丸を超えて運転される常設系統は設定されなかった。唯一の例外として,後に1系統となる壬生のあ・い系統が,北大路経由で運転された43年12月の系統変更がある(後の151系統)。しかしこの運行は長続きせず,1年で元の今出川経由に戻された。

河原町通と千本通を結ぶ5系統が,烏丸車庫前を直進する系統の典型だったが,下鴨線開通までの5系統は烏今経由だったため,錦林車庫の開設(55年3月)と同時に百万遍へ延長された14系統が,戦後初の直進系統となった。しかし14系統は一貫して平日朝夕限定だったため,56年10月の下鴨線開通後の5系統が初の実質的直進系統と言える。

14系統は63年6月に廃止されるが,その後も北大路線(下鴨以東~千本以西)の直通需要はあったと見えて,ワンマンカー導入当初(65年春頃)にも京駅→西七→烏車→百万という臨時系統に遭遇したことがある。(スタフを覗いたが,ワンマンの仕業別スタフのため系統番号は不明であり,3ケタ系統のリストにも無い。)

この種の系統の代表格が,百万遍→西大路九条間の240系統だろう。ただ200番台の系統は,運転系統というより乗務系統に近い印象があり,連結車の時代から烏車→百万→烏車→西九→烏車という仕業で,逆方向の西大路九条→百万遍の運転は見掛けていない。画像は72年9月の交通調査票※注)だが,連結運転廃止後は通常のワンマンカ―による運転だった。240系統は今出川・丸太町線廃止と同時(76.3.31限)に廃止されたが,烏丸線廃止後は4-6系統が連続運行されていたため,北大路線を走破する系統は既に珍しいものではなかった。
※注)この調査票では,停留場番号を囲む〇が太線のものが急行停車停留場,細線が通過停留場,◎は操車停留場という風に区別されるが,運転方向の識別はない。また142系統(13い系統の烏車~高野区間を含む)と共用されている。

(6/19/2022)


ワンマンカーの行灯

ワンマンカー(法的には「車掌を省略することができる設備をした車両」)が混在する場合には,識別のためワンマンカーであることを表示する必要があったが,多くは車体の塗色(色帯を含む)や「ワンマン」の文字表記で区別していた。一部では妻面幕板部にワンマン表示窓を設けたが,バス用行灯の流用(車内設置)が大勢と言える中,京都・横浜・名古屋では特製の行灯が装備された。京都市の場合,1600型では方向幕とほぼ同サイズの行灯が用いられたが,1800・1900型はそれより少し大型の行灯を共用したため,1800型では方向幕より大きめ,1900型では小さめとなりバランスが悪かった。横浜市も京都市同様,方向幕の上に行灯を装備したが,写真の1500型や1150型では行灯の上の庇が特徴的だった。名古屋市は初期の所謂「港型ワンマン」では赤帯と幕板のワンマン表示窓が用いられたが,後に前面中央の車番を右寄せして,バンパー上部にワンマンカーの行灯を設置した(左写真は京都市,横浜市,名古屋市の行灯;いずれも保存車両)。このタイプの行灯は,岐阜市内線や1400型を導入した豊橋市内線でも用いられたが,前者では設置位置が前面窓直下だった(右写真)。京都市では内部照明に蛍光灯が用いられたが,名古屋市は白熱灯だったため,夜間の薄暗さに侘しさを感じた。(6/5/2022)

車型分類と1000型

単車広軌Ⅰ型,200型,300型
ボギー車小型車514型,600型,686型
中型車700型,800型,900型
大型車500型,1000型

壬生烏丸 九条錦林
511-513
518-522
1025-1032
16 523-535
1001-1014
27501-51010 536-540
1015-1024
15

45kW×237.28kW×2
1001-1010,1029-10321011-1028
京都市ではワンマン化以前には広軌車両を上表のように4分類し,これを基準に車両配置を行っていた節がある。車長11,000mmの686型が小型車で,11,950mmの800型が中型車なので,車長11,700mmのワンマンカー2000,2600型も中型車に分類するのが妥当だろう。

中表は単車が全廃された1958年12月24日時点の大型車の車庫別配属を示す。伏見線の棒鼻以南には1000型の入線が不可能だったこともあり,九条車庫の大型車は500型のみの配置になっている。

1000型の電動機出力は,下表に示すように45kW(60hp)と37.28kW(50hp)の2種類があり,低出力車には1011~1028の中間車番が割当てられ,錦林は全車が低出力車になっている。これに対して烏丸・壬生には高出力車が配属されていたが,特に烏丸は南北方向の主要路線に加えて,叡電乗入れを担当した為の配慮であろうか。ただ壬生の高出力車は4両に留まった為,20分毎の運転を賄い切れなかったと思われる。

実際,Web上では1019号や1024号が叡電に乗入れた写真が見られるが,叡電乗入れ期間は末期の7ヶ月余を除いて錦林車庫の開設前だったので,これらの車は壬生所属だったと思われる。よく市電が叡電に追い付かれたと言われるが,叡電乗入れに低出力車が混在したことも一因だろう。

(5/28/2022)