乗務系統と方向幕

Operation Routes and Scroll Signs

このページでは,基本的に阪急・河原町延長(1963.6.17)に伴う系統変更(6.20)から,「財政再建計画」による路線撤去(1970.3.31)が始まるまでの,約7年間続いた運行状況についてご案内します。

乗務系統

京都市電では,乗務系統を車庫(操車場)から出る方向に従って,甲・乙に区分していた。八条口(操)の南行と連結車などの限定運用を除いて,車庫前で乗務交代となった。 (その他,烏丸の4・6系統については,京都駅前でも乗務交代があった。)
 このため,循環系統の場合は,甲・乙は左回り・右回り(4・6系統を除く)という具体的意味を持つが,それ以外でも,殆どの系統で甲・乙の区別があった。原則は,次の表のようであった。

車庫壬生烏丸九条錦林
西
西

車庫の操車室から見て,右へ出発する系統が「甲」,左へ出発する系統が「乙」になる規則性がある。

この他に,乗務系統としては4系統に「A・B」,6系統等に「い・ろ」なども用いられた。
 亜系統は,短縮系統も含めて全て「臨」表示であったが,内部的には「特3系統」の如く「特」を付すものと,「105系統」や「222系統」のように,100・200番台の系統があった。
 この時代,市バスの亜系統には「22乙」「22丙」などのように「甲・乙・丙」が用いられていた。
 都電では,短縮系統も原則として(一部1系統の浅草系統の如く,系統数字の色が異なる場合があったようだが)同じ系統表示, 名古屋では本則系統の地色は白で,短縮系統には薄黄色などの地色が用いられた。一方大阪では,伝統的に「臨・特」+数字を愛用しており,そのための系統幕もあった。

  • 壬生車庫所属系統

    系統番号回数回数
    壬生車庫前-百万遍-壬生車庫前(左回り)136壬生車庫前-百万遍-壬生車庫前(右回り)136
    10・11壬生車庫前-京都駅前-白梅町-壬生車庫前45壬生車庫前-白梅町-京都駅前-壬生車庫前45
    20壬生車庫前-銀閣寺道-壬生車庫前68壬生車庫前-千本北大路-壬生車庫前80
    21壬生車庫前-九条大宮-壬生車庫前56壬生車庫前-四条烏丸-壬生車庫前44

  • 烏丸車庫所属系統

    系統番号回数回数
    (A)烏丸車庫前-円町-京都駅前116(A)烏丸車庫前-四条烏丸-京都駅前121
    (B)京都駅前-円町-烏丸車庫前116(B)京都駅前-四条烏丸-烏丸車庫前127
    烏丸車庫前-四条大宮-烏丸車庫前77烏丸車庫前-京都駅前-烏丸車庫前(下鴨)76
    烏丸車庫前-京都駅前-烏丸車庫前(烏丸)98烏丸車庫前-京都駅前-烏丸車庫前(東山)92
    13烏丸車庫前-高野-四条河原町新京極-高野-烏丸車庫前46
    15烏丸車庫前-西大路四条-烏丸車庫前41烏丸車庫前-京都駅前-烏丸車庫前(今出川)69

  • 九条車庫所属系統

    系統番号回数回数
    九条車庫前-四条烏丸-九条車庫前(左回り)104九条車庫前-四条烏丸-九条車庫前(右回り)106
    九条車庫前-七条烏丸-九条車庫前(左回り)99九条車庫前-七条烏丸-九条車庫前(右回り)100
    17九条車庫前-四条烏丸-九条車庫前(左回り)37九条車庫前-四条烏丸-九条車庫前(右回り)36
    京都駅八条口-京都駅前-中書島-京都駅八条口130
    18京都駅八条口-河原町二条-中書島-京都駅八条口44
    19京都駅八条口-京都駅前-稲荷-京都駅八条口95

  • 錦林車庫所属系統

    系統番号回数回数
    錦林車庫前-西大路九条-錦林車庫前(丸太町)123錦林車庫前-京都駅前-錦林車庫前168
    12錦林車庫前-西大路四条-錦林車庫前(丸太町)87錦林車庫前-四条河原町新京極-錦林車庫前4
    22錦林車庫前-白梅町-錦林車庫前(平日朝夕のみ)18錦林車庫前-西大路九条-錦林車庫前(今出川)63

    運転回数は,1967年6月6日(火)の交通量調査実施当日の実績で,出入庫系統や臨時系統を含まない。なお,無軌条線100系統の運転回数は180回であった。

    方向幕

    京都市電の系統の特徴は,循環系統や系統内にループを含む複雑な系統が多かったことである。
     実際,起点から終点まで最短経路となる系統は,9,10,11,13,18,19,100の7系統しかなかったため,その他の系統では,運転中に方向幕の文字は次々と変化することになる。 方向幕は手動であり,現在の市バス循環系統のように,1系統あたりの表示枠の制約もなかった。実際の表示状況をまとめてみると以下のようである。
     ただし,同じ系統でも時期によって変化はある。たとえば「植物園」という幕が使われるようになったのは,植物園が接収解除となり再開園した1961年4月以降のことであって,それまでは「洛北高校」や「たかの」が使われていた。

    系統運転方向基準停留場方向幕の表示備考
    壬生車庫前百万遍→千本今出川→みぶ→ぎおん「みぶ」と「四条大宮」は代替的に使用
    壬生車庫前百万遍→ぎおん→四条大宮→千本今出川
    甲→乙西大路九条丸太町・銀閣寺(→銀閣寺)→京都駅
    乙→甲京都駅前銀閣寺→西大路九条
    乙→甲京都駅前烏丸車庫→西大路七条→京都駅初期のワンマンカーでは,
    「西大路・京都駅」を使用
    甲→乙京都駅前金閣寺→烏丸車庫→京都駅
    甲→乙四条大宮植物園→下鴨・京都駅→京都駅七条内浜改称までは,
    「下鴨・うちはま」を使用
    乙→甲京都駅前植物園→四条大宮植物園返還前は「洛北高校」を使用
    京都駅前植物園→東山七条→京都駅植物園返還前は「たかの」を使用
    京都駅前百万遍→植物園→京都駅
    九条車庫前ぎおん→四条大宮→九条車庫
    九条車庫前ぎおん→東山七条→九条車庫→四条大宮
    九条車庫前東山七条→西大路七条→九条車庫
    九条車庫前西大路七条→東山七条→九条車庫
    南行京都駅前中書島
    北行中書島京都駅
    10京都駅前千本・北野→北野白梅町
    10白梅町大宮・京都駅→京都駅
    11京都駅前烏丸・北野→北野白梅町
    11白梅町烏丸・京都駅→京都駅
    12甲→乙西大路四条丸太町・銀閣寺(→銀閣寺)→四条河原町
    12乙→甲四条河原町新京極銀閣寺→西大路四条
    13い(出)烏丸車庫前(臨)たかの→四条河原町烏丸車庫<->たかの間は,
    円板は(臨)表示であったが,
    横板は(13)表示
    13い(入)四条河原町新京極たかの→(臨)烏丸車庫
    15甲→乙西大路四条烏丸車庫→今出川・京都駅→京都駅七条内浜改称までは,
    「今出川・うちはま」を使用
    15乙→甲京都駅前今出川・烏丸車庫→西大路四条
    17九条車庫前ぎおん→四条大宮→西大路七条→九条車庫
    17九条車庫前西大路七条→ぎおん→東山七条→九条車庫
    18南行河原町二条(京都駅・中書島→)中書島( )内は京都駅スイッチバック時代
    18北行中書島(京都駅・河原町二条→)河原町二条
    19南行京都駅前いなり
    19北行稲荷京都駅
    20甲→乙銀閣寺道四条大宮→北野・金閣寺→千本北大路
    20乙→甲千本北大路ぎおん→銀閣寺
    21甲→乙九条大宮烏丸車庫→四条烏丸
    21乙→甲四条烏丸千本北大路→九条大宮
    22甲→乙白梅町丸太町・銀閣寺(→銀閣寺)→西大路九条甲は平日朝夕のみ運転であり,
    甲・乙の直通運転は実際は稀
    22乙→甲西大路九条今出川・銀閣寺(→銀閣寺)→白梅町
    100「四条大宮<->松尾橋」
    「四条大宮<->高畝町」
    ワンマン改造以降,
    出入庫系統を除いて両端表示

    [余談] かな文字の方向幕

    以下の停留場名は,方向幕では伝統的にかな文字で書かれた。書き方は,ひらがな右横書→カタカナ右横書→カタカナ左横書→ひらがな左横書,と変化したようだが,かな文字で書かれる停留場名は一貫していた。

    壬生車庫前祇園熊野神社前高野稲荷七条内浜蹴上北野紙屋川町
    み ぶぎおんくまのたかのいなりうちはまけあげきたの

    「きたの」は北野紙屋川町が終点であった短い期間のみ使用されたが,狭軌線終点の方は一貫して「北野」であった。


     京都市電の方向幕
     4-6系統の乗務系統
     5系統の変遷
     「白梅町」と「円 町」~22系統の変遷